孫子

その法則をきわめてどうしようという料簡はない。(中略)平凡にしずかに生涯をおわりたいとしか考えていない。(P.26)

名著「孫氏」を記したとされる説のある、孫武と孫臏の二人を題材に小説にしたもの。たしか、高校生のときに買った記憶がある。
著者も力いっぱい「小説です」と断りながら筆を進める、ちょっと異色な感じの歴史小説。不思議な友人関係を二人とも得て、世に出て行く様とその後を描いている。学級肌の孫武は、地道に幼少のころより戦争を研究。

世に出て働く人間には、徳や、才や、学問以外に、最も必要なものがある。それは度胸といってもよく、図々しさといってもよく、俗気といってもよく、事務能力といってもよく、人と表面だけ合わせることのできる軽薄さといってもよく、要するにそんなもの一切だが、それが自分にないことを、孫武は知っているのだ。(P.75)

このようにまったく立身出世に興味なく、学級の徒そのもの思考だ。そんな中で、亡命者であり呉王に仕える伍子胥と知り合う。交友を深め、そして、呉王に仕える羽目となる。が、その流れの中で

「国務多端で、常に先生の下に参ずるひまがありません。拙者のために、兵法の書を著してはいただけないでしょうか」(中略)「形になさらなければ、これほどの知識も見識も、貴殿の身と共に滅びるのです」(P.117:伍子胥によるスカウト活動の一環で孫武にまずは文章を書くことをたきつける)

と、孫子13編を記すことになる。その書を持って、呉王が気に入り仕えることに。

一歩を譲ることは百歩を譲ることだと、世に言うが、ほんとじゃわ。わしは心の平安のため、また研究に平穏な時間が必要なため、いつも妻に譲っていたが、いつか譲る癖がついてしまったのじゃろう、この大事なときにも譲ってしまった。(P.135)

と、嫌々仕官し、おまけに気弱。呉王も、こいつがこんな書を書いた立派なやつかいなと思い、ちょろっと、孫子の本をけなす。すると突然

きびしい調子であった。これまでの優柔さをかなぐり捨てていた。怒っているようであった。ほんとにおこっているかも知れない、兵法を非難されては、孫武にとっては我慢できない(P.137:呉王に孫子の兵法を机上の空論といわれ)

と、毅然とした人物となる。とはいえ、兵に関すること意外には相変わらず優柔。とはいえ、仕えてからは連戦連勝。ただ、呉の組織におごりが見えてくると

しょせん、世に立って仕事をする人間ではない。整理し、発見し、教えるだけの人間だ。(中略)わしは遠からず仕えを辞したい。でなければ、わしの兵法まで汚すことになる。(P.170)

と、強い意志を持って隠居。風説で聞き及ぶ伍子胥の苦境にも

余計な口出しをすれば、またずるずると引きずりこまれる。わしの知ったことではない(P.229)

と、じっと我慢。で、伍子胥本人が来ても

「ある時期には大いに有用であり、大いに役立った人物でも、その時期が過ぎて次ぎの時期に移ればもう用をなさないのです。四季の衣服のようなものと、拙者は見ています。(中略)四季は年々にめぐって来ますが、人の世は循環しません。拙者の用はすんだのです」(P.234)

と、遠まわしで隠居を勧める。が、結局、呉の国は滅ぼされ、孫武の行くへは誰も知らないということで。で、孫臏の話。
こちらは、龐涓という若者が、孫家に孫武の記した文献を見に訪れることによって始まる。勉強嫌いの孫臏が龐涓に触発されて、孫武顔負けの学級の徒に。龐涓は立身出世のために仕官のために遊説。その後も文での学術研究の交流は進む。

冴えないなあ。龐君も少し兵法から離れて、悠々と人生を達観する気になれば、いくらかかわって来るのだと思うが(P.284:孫臏)

で、あるとき、ちょっとした手助けを龐涓が気づかぬようにするも、あたかも自分の手柄のように孫臏に文をよこす。

凡人には人生すべて悲劇で、達人にはすべて喜劇だというが、どうやらそうらしいわ(P.291)

その後、孫臏は彼に裏切られ、彼と敵対する国に仕え彼と対峙する。

彼は兵学者ではありますが、兵法家ではないのです(P.341)

と、彼の性質を喝破し、国を勝利に導く。で、彼の最後も孫武のようによく分からない。2代共に末期は不明というつくりの小説。まぁ、どっちもなぞの人物なので、こういう終わりのほうが読者に空想の幅を持たせる上でいいのでしょう。
読む価値はありの一冊です。