織田信忠 「本能寺の変」に散った信長の嫡男

一度や二度ぐらい、思い切り反抗してみればよかったかの。(P.634)

織田、武田、徳川のどれも優れた才覚を持つ初代を親に持つ二代目の苦悩を織田信長の息子、信忠(信重)の目を通じて描く。といっても、徳川の二代目はちょっと出てきて、いつの間にかさくっと切られたことになっていて、あまり目立たない。

ようやく初陣したものの

「かようなものが初陣とはの」(略)
「ご不満かもしれませぬが、跡継ぎの初陣とは、かようなものにございます」
(P.39)

というようにただ陣に出ただけ。不満が鬱積する。問われても答えが十分ではなく叱責ばかりで、何をやっていいか迷いに迷う。

「間違いは誰にもございます。ただ、答えを一つしか用意しないのは、これ則ち怠けと同じ」(P.106:守役の河尻の言葉)

と、信長の意図を言われても、顔色を伺い、結局右往左往しているだけ。

「どこの家でも嫡男は耐えるものにございます」(P.216:守役の河尻の言葉)

で、満足に活躍の場はない。弟たちは活躍しているにもかかわらず。おまけに、側室にも子が産まれ

母となってから、心の芯が強くなったようである。それに比べて己はいまだ迷走している未熟者。見習わねばならぬ(P.490)

と、未熟を自覚し、開き直る。そんな中、武田の2代目を、父の援軍なく自力で打ち破る。

負けの歯車が動き出すと、かようなものか。儂も上様を失えば、同じようになろうか。(P.496)

と、偉大な初代の後の難しさを思い知らされる。が、その戦後処理で

やはり、儂にも上様と同じ血が流れているようだ(P.520:諏訪の社を燃やすことを命じて)

父の峻烈な処分を繰り返している自分に気がつく。そして

(はたして、儂はいかほどの価値があろうかの)
信忠は一度、信長に聞いてみたい気がした。
(P.561)

と、父の顔色を伺う自分に気がつく。これは、意外と普通の親子でも時には悩む悩みかたなのではないだろうか。そして、父に叱咤されてばかりの明智光秀に上手な勇退を勧める。

忠臣を切り捨てるようなことはしたくなかった。これを二代目の甘さと言われれば仕方ない。(P.576)

ようやく自分の独自の対応を、自分の責務でできるようになる。そのころ、ようやく

「天下は一代でできぬ。必ず良き跡継ぎが必要じゃ。(中略)余はそなたが育ったゆえ満足だ」(P.609)

と、父より認められる。どこの世でもことをなそうとする場合、2代目の問題とは非常に難しい。皮肉なことに、その光秀に親子ともども討ち果たされる。初代の因果も、次への責務も一緒にかぶるというのは二代目の難しいところであろうか。

あまりメジャーな人物ではないが、小説としても面白いので一読して損はない歴史小説である。