主語を抹殺した男/評伝三上章

敗北を認め、相手を勝者と褒め称えることは何ら恥ではない。誤りと知りつつそれを認めない虚栄心が恥なのだ。(P.158)

目からうろこが落ちるとはこのことかと、はじめの一章で、三上氏の日本語文法論を紹介し、それに続けて、三上章という人間の伝記が始まる。著者は海外で日本語の研究と教育をし、日本語文法を的確に説明できないという状況を、この三上の理論で救われた一人だ。

もはや日本語は日本列島で日本人にしか話されない「閉ざされた言語」ではおれなくなった。(P.6)

という状況下で、日本語の文法の問題を避けては通れないと考え、三上の評伝を刊行したもの。

実は、自分も、まったくアプローチが違うがある程度近い形での言語のありようの研究をしている。が、三上氏がぶつかった日本の学術的常識と言う、摩訶不思議な壁の存在はとてもよく実感できる。言語とか、国語とか、ある種の魔物のような学問ジャンルだ。

「真の学者の真の研究というものは、その著者自身より外にはわかる人は一人もないものですな」(P.196)

いわゆる自然科学から上がってきた人間としては、ある面でこんな状況はありえない。が、社会科学の世界などでは良くこういう状況になる。自然科学においては、適切な対象を設定し、適切な推論をし、適切な実験をすることで、誰でも原則的に研究を理解できるというのが根底にある。が、こと、日本の自然科学以外の科学では、ときにまったくもって理解できない研究アプローチだとか、エビデンス軽視の姿勢とか、驚異的な驚きに出会える。
三上氏も、数学者上がり。よって、このような壁にぶつかった実感はものすごいものだったろう。本書はその彼の人生をよく描けているのではないだろうか。

学問の自由、学者の良心とは、他人がどういおうと「私にとってこれがいい」と自分の責任で表明することなのだ。(P.175)

という一言は、純粋に研究に向き合えず、産との連携、官民へディクローズの美名の下、研究を捻じ曲げられがちな日本の学術会がいかにあるべきか改めて考えさせられる。

三上彰の晩年は病のせいもあり不幸なようだが
「何だかタネまく人で終わりそうです」(P.225)
と、言うようにきちんと研究の種をまけたのだから、学術の人間の生涯としては、充分まっとうできたのではないだろうか。優れた種を残したのだから、人の後追いで研究剽窃家みたいなやからよりよっぽど優れた一生だろう。