明治の人物誌

「こういうしくみなのか」
読んだ人は、正直と同じつぶやきをもらしたにちがいない。
(P.36:中村正直)

星新一が、自分の父とかかわりのあった、明治の10人の人物を伝記にしたもの。が、多分、10人全員を「あぁ、知ってる」と言える人は多分かなりまれだろう。
ちなみに、一番初めは、中村正直。さすが作家。何と「西国立志伝(自助論)」の翻訳者。が、この本もいわば、日本の西国立志伝。明治立志伝なのだ。医療、法律、金融、産業、思想、政治など広範な範囲で、日本の近代化に貢献した人々の列伝である。日本人であれば一度読んでおいて損のない一冊だ。
ひたすら解説して感想を残していたら、たぶんエントリの文字数を突破するであろうことが予想されるので、地道に各人の章から少しづつ引用して雑感を紹介したい。

野口英世
「もう、私は覚悟しております。私は一生の仕事をすませましたから、いつ死んでもよろしゅうございます」(P.73:野口英世、英世の母シカの言葉)
この母ありて、日本の医学科学界での地位を著しく向上させたのだ。こういえる子育てをしようとおもう。

岩下清周
「銀行は、金利のかすりを取ってもうければいいというものではない。事業を育て、産業を進歩させ、国を富ませるのが使命だ」(P.100:岩下清周)
「銀行家として、なすべきことだと思って融資したのだ。それなのに、こんなことをされては困る。取引は中止だ」(P.102:岩下清周、ある融資のお礼に対して)
日本が生んだ、真のバンカーだ。いま、銀行づとめでこんな使命感とこんな気概を持っている人が何人いるだろうか。晩節の評価はいろいろ複雑な方ではあるが、日本の銀行をただの両替商や高利貸しから、自身の行動によって脱却させた大功労者なのだ。

伊藤博文
「きみ、韓国人は偉いよ。歴史を調べても、日本より進歩していた時期がある。この民族にして、これしきの国を自ら経営できない理由はない。」(P.163:伊藤博文、技術指導に日本人を入れてはという新渡戸に対して)
だれもが知る明治の元勲。義務教育でも習う暗記すべき人物。そして、最も誤解されているのが、日韓併合に関して。とにかく、中国韓国は、国家としての先輩と敬意を表していたのだ。
「きみは、酒を飲んで道楽をしただけだよ。これはぼくもやるし、だれでもやっている。問題は、それ以外に何をするかだ。それを忘れぬことだな。」(P.310:後藤猛太郎、伊藤博文の晩年の猛太郎に対する言)
実際にこんな気さくな人柄だったようで、本書で触れると教科書とは違って生き生きした人間として浮かび上がる。

新渡戸稲造
「才気的な自分がいやになり、なにかもっと高級なものを求めたい気になった」(P.176:新渡戸稲造)
「彼は日本の代表的な自由主義者なのに、軍部に依頼されて、その宣伝にやってきた」
在郷軍人会には国賊とののしられ、アメリカではこんな評を受ける。内心、大いに悲しかったことだろう。
(P.211:新渡戸稲造)
わが母校の偉大なる先輩。今でこそ、太平洋の架け橋と尊敬されているが、そうした神話をきちんと崩してくれる。時代の時々で必ずしも評価されたりされなかったりという苦しみが見えてくる。

エジソン
「彼の発明は何百万人へ仕事を与えた。貧困をなくすことのエジソンの貢献は、すべての社会改革者や政治家の尽力にまさっている」(P.266:エジソン、フォードの評価)
本書で唯一の日本人ではない人物。明治を19世紀末から20世紀はじめと考えると、そのころの海外からの大きな影響のひとつとして、エジソンは偉大だったに違いないだろう。GEという大企業は、もともとエジソンにゆかりがあるなど、今に連なる諸事を確認できる。

後藤猛太郎
「しかも、ぼくも働くのだ。いいか、堂々と盗むぞ。文句があるか」(P.308:後藤猛太郎)
大政奉還を実現させた明治の元勲、後藤象二郎の息子。この息子もまた破天荒な人生。ただ晩年は多くの物事を支援し、星製薬の創業にも大いに力を貸したそうだ。

花井卓蔵
「本弁論によって、被告人を弁護すると同時に、いま、あやまって適用されんとする法律をもまもらんとするものであります」(P.340:花井卓蔵)
これは本当に名言だ。法曹界というのは、原則として法の守護者であるべきなのだ。法を捻じ曲げ適当に適用していてはいけない。こういう人を本当のローワーと呼ぶべきなのだろう。弁護士のみならず、この花井氏の章は一読すべきだろう。

後藤新平
「病人や貧民になってから与える百円より、ならぬようにする一銭のほうが大切なのです」(P.397:後藤新平)
予防医療への先見性のある名言。医療費問題をこの視点で、明治から捉えていたのだ。
「後藤によき点がありとすれば、それは夫人からの影響によるもので、夫人に欠点がありとすれば、夫人が後藤から影響を受けたためである」(P.410:後藤新平)
うちの夫婦。でも、それでいいのである。
「人のお世話にならぬよう。人のお世話をするように。そして、むくいを求めぬよう」(P.424:後藤新平)
地方自治、市民活動をやる人間が常に肝に銘ずべき名言。まさに公民館の父とといわれている。が、本編を通して読めば、この視点で、台湾と満州を経営しアジアのインフラ的基礎を作った大政治家でもある。

杉山茂丸
「なにごとも、ことの成功不成功にかかわらず、真相がわかった時、あいつはじつに親切なやつだと思われるようにしないと、あとの仕事がつづかない」(P.484:杉山茂丸)
ぼくのような仕事はこうであるべきなんだろうなと感銘を受けた人物。でも、ここまで破天荒な繋ぎ屋にはなれないよなぁ。

ちなみに全編を通して、明治を形作った精神は
「依頼心は自殺以上の罪悪である。」(P.486:杉山茂丸)
という一言に凝縮されており、最終章に杉山が来ているのは、非常に象徴的なことなのだろう。

評点としては現代人必読書。売り飛ばす対象にはなりません。