日本農業への正しい絶望法

「過去の悲惨な歴史に学ぶ」という言葉の意味を日本人は取り違えてはいないか?ともするとこの言葉を、「戦争してはいけない」という意味に限定しがちだ。しかし、本当に学ぶべきことは、マスコミや「識者」がしばしば大衆に迎合して虚構を描き、危険な幻想が社会に歯止めなく拡張しうるということではないか。(P.146)

本当にそうです。ぜひ、キレイゴトぬきの農業論とセットで一読いただきたい感じの本です。視点は違いますが見てるものは一緒でアクションがまったく違う、実践者と良心的評論家。おおむね賛成ですが、個人的には、

消費者自身が応分の反省や努力をするのは当たり前だ。手軽に簡単によいものをてにいれようなぞというムシのよい考えは捨てるべきだ。(P.220)

は、厳しいかなと思います。とはいえ、消費者迎合という意味ではなく、医療でも科学でも一緒なのですが、「専門性への尊敬の念を持つ」というのが努力して理解するということ以上に重要なのではないかと。これが著しく欠けているのが現代の病巣で、それこそまさに日本をダメにしたB層の研究で記述されたまさにB層の問題に他ならないと思います。
そもそも、それぞれの専門をもれなく身につけるなど不可能なのであって、尊敬の念を持ち真摯な仕事に、その成果とは別に真摯な姿勢で答えるのが正しい人の姿なのではないかと。そして農業生産もそういわれるべき専門的な仕事なのだと。そんなことを思わされる一冊でした。

OECDの推計によると日本の農業保護額は四・六兆円で日本農業の付加価値三・〇兆円を上回っている。計算上は農業生産をゼロにした方が国民所得が増えるという異常事態だ。(P.19)

高齢化も耕作放棄も困窮を意味するのではなく、地権者の贅沢な算段を意味している場合も多い。もちろん、地権者は、そのホンネを、マスコミや「識者」の前で語ることは稀だ。(P.53)