「親の顔が見てみたい!」調査―家族を変えた昭和の生活史
問題の根はもっと深いところにあると見据えて、解決策を考えなければならないところにきているのではないかと思う。だからもう、事実をきちんと見つめない、思い込みだらけの「幻想系家族論」は無用であると思う。(P.330)
「変わる家族 変わる食卓」「普通の家族が一番恐い」と続く、脅威の一連の著作だ。前2作がバブルな人々の問題をさらけ出した調査であるなら、これはそれに連なった祖をたどる団塊の人々の問題をさらけ出した調査なのだ。用は、前二作の食卓のひどさを短絡的に非難し自分たちの世代を是とし著者らへの
「昔ながらの食事をきちんと作る母親世代に育てられながら、なぜ今急に現代主婦たち(娘世代)は激変したのか」という質問に答えるために、新たな調査を実施した。(P.14)
というわけだ。その結末は、何のことはない、「三丁目の夕日」的な幻想の中、多くの人が昔を美化していたに過ぎないというわかりやすいオチだった。
そもそも伝承する時間を減ったのが理由のように言い立てて
受験や勉強より部活、そして仕事より遊びが娘たちの帰宅時間を遅くして、母親が料理を教える時間さえなくしていたのが現実のようだ。(P.34)
のように思わせるが、実は、自分たちがすでに食卓を破壊してきていて、いわゆる伝統食なんてとっくの昔に食卓から消えて
「近年の主婦が手抜きになった」のでもなく、実はこの親世代の作る料理から簡便化は始まっていたのである。そして生まれたときからこのような食品に囲まれて育ったのが六〇年以降生まれの子供たち、つまり、現代主婦(娘世代)だったということになる。(P.124)
こうなっていたという次第。でも、ある程度やむを得ない側面として、戦争によって
母親世代は、子どもの頃にひもじい体験をしただけでなく、親が本来なら作ってくれたはずの昔ながらの家庭料理をほとんど食べさせてもらえずに成長期を過ごした人々だったのである。(P.42)
こうなっていたのだ。
それにしても、食の調査が百年の誤読で言われている1960年のフォッサマグナもちゃんと説明しきっているのが、空恐ろしい。
書籍の売れ筋さえも、一九六〇年代に入ると、じっくり読んで鑑賞したり人に考えさせるような内容のものより、急速な時代変化に対応すべく「すぐに役立つ新情報」を効率的に提供するものに変わったのである。(P.149)
ともあれこの一連の著作は政治家のほか、多くの大人は責任をもって目をそむけず読むべきである。