電力と震災 東北「復興」電力物語
東京電力のほか、被災とは無縁の関西電力、九州電力がさっさと値上げに踏み切ったときも、東北電力はじっとやせ我慢を続けた。値上げという選択肢は、被災者と被災企業の財布を直撃して、東北地方の復旧・復興の妨げになることから、一日でも先に延ばさなければならないと考えたからである。(P.6)
やせ我慢が限界に達し、値上げを申請した途端、東北電力バッシングはピークに達した。値上げを東電より丸二年も遅らせ、上げ幅を東電より小さくする努力をしたにもかかわらず、専門家たちはそうした努力の存在を黙殺した。(P.8)
大飯三、四号機の例外的な緊急再稼動が容認される一方で、被災企業として懸命の供給力確保に努めても、なお深刻な状況にあった東北電力の東通原発の運転再開は一顧だにされなかった。しかも、当時、運転再開の条件とされていたストレステストは、大飯原発の再稼動とともに、その存在そのものが有耶無耶になった。東通に絞って、当時、ストレステスト対応に懸命になっていた東北電力の地道な取り組みはまったくの徒労に終わったのである。(P.282)
まぁ、初代会長白洲次郎の活躍は別の本(白洲次郎 占領を背負った男とかプリンシプルのない日本とか)を読んでいただくとして、東北電力と東京電力他を一緒くたにしてはいけない、というのは非常に納得です。震災の原発においても、女川と福島は偶然の産物で女川が事故にならなかったのではなく、当初の設計思想から日々の運用まで徹底して
他の電力会社と違い、東北電力が地元をカネさえばら撒いておけば足りる存在とは見ていないということだ。トップにも、現場にも、地元とは運命共同体であり、「共存共栄以外に道はない」という考え方が浸透していた。(P.228)
という思想に貫かれていたからこそ、女川は事故にならなかったというのが良くわかります。僕自身は、別のエントリーで書いたように親原発でも反原発でもありませんが、本書を読んでやはり意を強く感じたのは
社会に溢れている自動車が便利なものであると同時に、使い方によっては人の命を奪う凶器になりえるように、原発も、その安全性は運転する会社や人々によって大きく異なってくるはずである。(P.296)
というものであって、原発に関しては
原発が安全かどうかの分かれ目は、国の外形的な規制などよりも、実際に作って運転する人たちの取り組み姿勢、哲学にあるのかもしれない。(P.268)
という考えに賛同します。福島の事故で大騒ぎすべきは、実は、でかけりゃ良いという変な大組織信仰の方なのかもしれませんね。業界一位がいい加減だからといって、それでそれ以下を計る発想こそ戒めねばならないかと。
付和雷同はいけない。マスメディアであれ、フリーランスであれ、一般の個人であれ、幅広く情報を集めて、客観的に判断するのは当たり前の話である。(P.241)