祖父たちの零戦
「肩書きをつけるのは簡単だ。だから君が課長になりたければすぐにでもしてやる。しかし、課長の肩書きがついたなら、ほかのどんな会社に行っても、すべての課長と同じ仕事ができるようじゃなければ、それは本当の課長じゃない。どこへ行っても課長がつとまらないような課長は、俺は作らんよ」(P.457)
僕が高校生のときに亡くなった祖母の口癖に
「そんなことじゃ死にゃぁせん。やってみればいい」
ってのがある。ちびっこいときの悪戯から受験まで、僕がなんかやろうとするたびに、そういって後押ししてくれた。戦中と戦後まもなくを生きてきた人には、生きるか死ぬかという大事があって、その上に死なない社会を作り、その土台で次世代がどんどん挑戦してより良い社会作りに資すればいいってのがあったんだと思う。
当然、死なないんだから経済戦争なんて、そういう世代にしてみればある意味かわいいもんだったのかもしれない、が、勝つために死力を尽くすことを知っている人々で、部下にも自分にも厳しく仕事をこなした結果がいまの日本なんだろうな。
そういう意味ではやはり戦中派の人々には敬意を表したい。
「死にゃぁせん、が、死力は尽くす。」
こういう精神はもってビジネス社会の中で生きて生きたいもんだ。
「もし零戦がなかったら、日本海軍はアメリカ、イギリス、オランダ、オーストリアなどとの連合国との開戦に踏み切れなかっただろう」(P.25)
「重慶に六十キロ爆弾一発を落とすのに、諸経費を計算すると約千円かかる。敵は飛行場の穴を埋めるのに、苦力の労賃は五十銭ですむ。実に二千対一の消耗戦なんだ。こんな馬鹿な戦争を続けていたら、いまに大変なことになる」(P.68)
「俺たちは、ただ死力を尽くして戦うだけだが、戦争の後始末はどうやってつけるつもりなのかな」(P.99)
つい先日まで、積極的に軍人をもてはやし、戦争の後押しをしてきた新聞やラジオが掌を返して、あたかも前々から戦争に反対であったかのような報道をするのも気に入らない。(P.364)
「人の上に立とうとするなら、人に好かれようと思うな。だが、嫌われたらつまらんよ」(P.458)
「戦争中、誠心誠意働いて、真剣に戦って、そのことに悔いもありませんが、一生懸命やってきたことが戦後、馬鹿みたいに言われてきて。つまらん人生でしたね」(P.495)