(再読)歴史は「べき乗則」で動く――種の絶滅から戦争までを読み解く複雑系科学

科学のもつ哲学という荷物は、検査なしにすでに積みこまれているのだ。(P.171、デネット)

ここでの紹介は二度目です。何度読んでも示唆に富んでいるのですが、人生論のときも思ったのですが、日本語のボキャブラリと英語のボキャブラリってのは、非可換なんだなと思うわけです。

その答えは一言で言えば、「歴史」なのだ。(P.36)

と訳してますが、大半のものが履歴といか単なる減少の時系列という感じであって

ジントニックの中で氷が溶けたり、水たまりの水が空気中に蒸発するのも、相転移である。(P.127)

こういう短い現象を「歴史」とは日本人は呼ばないと思うんだな。Lifeを生命とも人生とも翻訳してしまえるほど、英語の方が未分化なのではないかと。
それはさておき、この学説、予測不可能性を誇示することで、徹底的に科学を後出しじゃんけんと、説明能力だけを要請する、新しいフィロソフィーなような気がしてきました。さて、べき乗のムーブメントはどこへ行くのでしょう。

自らの利益を合理的に計算し、それにもとづいて行動する理性的主体としての人間をとらえるという、従来の考え方は、経済学者じゃない人々にとっては幾分奇妙なのものに思えるだろう。(P.236)

科学の中心に存在する学説のネットワークといったとらえどころないものを、揺るぎない数学的方法によって理解するのは、もしかしたら不可能なことなのかもしれない。(P.295)