平家の群像 物語から史実へ

もともと律令制では親王、三位以上の上流貴族の「家」は公的な存在で、家政を掌る職員(家令)が官給されていた。(P.12、源家ではなく源氏としか呼ばない理由)

へー。はじめて知った。なるほどねぇ。
この本、前の河内源氏と合わせてお読みなることをお奨めします。平家物語の理解が深まるというより、あの時代の、「家」や「合戦」の概念がずいぶん変わります。歴史理解がかなり深まりますので、是非一読を。でも、受験勉強にはおそらく何の役にも立ちません。

源頼朝は清盛の手法から多くを学び、それをより強力かつ整備されたものにした。(P.99、幕府の運営手法)

当時家人には「家人」と「家礼」の二つのタイプが存在した。後者は、期限つきで決まった量の奉仕を行い、去就後背を権利として有する従者をいう。(略)これに対し前者は、主従の強固な関係に縛られた従者で、その典型が「譜代相伝の家人」だった。(P.100)