真珠湾攻撃総隊長の回想 淵田美津雄自叙伝 (講談社文庫)

太平洋戦争の華々しい開戦の幕を自らの手で開けながら、ミズーリ号上で日本の敗戦の歴史的瞬間を見届けた日本人は、この淵田美津雄をおいてほかにいない。(P.13、はじめに)

真珠湾攻撃の航空機隊の総隊長で、終戦時も参謀という立場で歴史的瞬間を立ち会った人物。後半のキリスト教への改心が読ませたいところなんでしょうけど、むしろ、それまでの日本軍の内部から見た内容は、かなり当時の組織がどうなっていたのかを窺い知るのに役立つ記録なのではないかと言うのが感想。
それにしても、みる立場が変わればこれほど意味付けと解釈が変わる、太平洋戦争というか大東亜戦争って、一体なんだったんでしょう。ともあれ、この戦争を大戦としては歴史上最後になればいいなと、個人的には思うわけです。そりゃ、全ての小紛争もなくなった方が良いのは確かですけどね。
まずは、これで世界を揺るがす大戦というものを人類みんなが懲りてくれてれば言うことはないなと。

ともあれ

これからの私の生涯は、聖意に従って、万世の為に太平を開くことであると決意した。(P.318)

と言うことで、太平の世を一生懸命、みなで切り開きましょう。


「第一の仇のロシアは、日露戦争で討ちはたしたが、第二の仇ドイツと第三の仇フランスは、お前らの世代で討つのだぞ。その約束に脇差をつかわす」(P.74、美津雄の祖父)

「特集潜航艇は、始めから生還を期さない特攻をやったんだ。アリゾナは彼らにあげなさい」(P.175)

こんどこそは思うぞんぶんごほうこうができると、おっしゃっていらっしゃった、お父さまの元気なお顔が思い出されます。僕の大すきなお父さま。/もっと、もっと、わるい、アメリカやイギリスをやっつけてください。(P.189、美津雄の息子の作文。坪田譲二監修の書籍に収録された)

飛行機は燃えたけれど、搭乗員は生き残った。これら練達の搭乗員が生き残っている限り、なんの空母四隻の喪失くらい、戦勢の挽回は可能である(P.257)

金はないけど、智慧とひまはあった。(P.351)

「日本の子弟たちよ、満州事変から大東亜戦争勃発に至る真実の歴史を、私の判決文を通して十分に研究して戴きたい」(P.366、パル判事)