ボランティアの可能性
ボランティアは、我慢してやるものではありません。それをせずには我慢できないからするのです。(P.90)
これを呼んで真っ先に思い出したのが、以前紹介させていただいた、別の本で出てた言葉。
「私にはボランティアをする権利がある。私がよりよく生きようとすることを、誰もじゃますることはできない。私がよりよく社会とかかわり、よりよい人生を生きることを誰もじゃますることはできない」(さきがけの市民活動法人法-NGO/NPOの推進を目指して- P.24)
変な話、ようやくこのころの法の精神に日本が追いついてきたんだなと。
ちなみに、この本の著者は、以前、NPO愛知ネットの拠点合同での研修会でお伺いしたときにいろいろとご教授いただいた鈴木様。
(研修の様子はこちらhttp://www.ailink-web.co.jp/managerblog/2006/07/post-67.html)
あの時、いろいろご教授いただいたことがエッセンスになって詰まっています。
コーディネートを生業とするものが忘れてはいけないのが、
ボランティアにおけるコーディネーターは、人と人、人と組織などを対等に結びつけ、そして社会の課題解決につなげていく役割を担っています。人やものを動かすだけではなく、「心」を動かすということです。(P.60)
ということ。相手は生身の人間。ボランティアなんて誰がするの?といわれますけど、
きっかけを与えたあとは、人の意思に委ねるしかありません。きっかけは、「やらせ」でも「不純な動機」でも「偽善」でもかまわないのです。(P.160)
ボランティアの経験をしてはじめて、自分のやっていることを人が喜んでくれることに気づく。自分は人のためになっているという喜び、つまり自己肯定感という喜びを知るのです。(P.38)
「いつもは機械が相手なので、どんなにうまくやってもお礼は言われません。」(P.122)
ということを信じて背中を押してやってもらうのも大事です。
ただ、ボランティアを進んでやる方には、
「ボランティアをするなら、自分のことは自分でする」(P.41、無償性の基本である自己完結の意味)
目の前の状況に対して、すぐに行動することも大切なことですが、相手がしてほしいこと、または、してほしいタイミングとの間には、深い溝があることを忘れてはいけません。(P.56)
と時にはブレーキを踏むことを教えてあげるのも大事。あと、ボランティアが必要な背景は、
今の社会、そうした「助け合い」や「声かけ」が消滅して、そのかわりに生まれたのが、ある意味、仰々しい「ボランティア」という概念ではないかと思います。(P.193)
ということなんだろうなと。なにかというと、
私たちの社会は、町は、身近にある小さな助け合いの積み重ねで成り立っています。(P.197)
という、「自分の仕事をつくる」とほとんど同じメッセージです。そこに隣がいるという、そしてその隣がかけがえの無い存在だという、優しさの欠如。でも、そんな堅苦しく考える必要は無くて、
「ひと言で言って、ボランティアって何ですか?」と聞かれたら、私はきっとこう答えます。/「それは、自分を素直に表現することだ」と。(P.66)
あなたの趣味や特技、今あなたができることが、そのまま社会の力に直結するということです。(P.183)
ということです、大事な隣人のために自分のやれることをやれる才能を生かしてやればいいんです。
ボランティアなんかやる変わった人とか言われたら、
「昨日のことは昨日のこと。今日は今日で元気を出しましょう」(P.87)
ってことで良いんじゃないかと。
ボランティアは、堂々とすればいいと私は思っています。寄付をした人は堂々としていればいいのです。人に何を言われようと、自分がしたいからしているのだ思えばいい(P.180)