榎本武揚シベリア日記
ただただ予もまた小児たりしときは定めて人の眠りを妨げしこともありたるに相違なしと回想して、またまた覚へず眠れり。(P.201、隣室の子供が騒がしくて眠れないのを受けて)
さて、幕末の誰が好き談義になったら躊躇なく名前を挙げるのがこの榎本武揚。彼の残した日記やら書簡と言うのは、実に楽しい。何が楽しいってこれも、子どもの描写が実に面白かったりする。細かいことの勘所を実に面白く描く。文筆家になってもやってけるんじゃないかとか実は思う。
で、シベリア日記が刊行。オランダに行ったときに渡蘭日記もセット。個人的には北海道を探訪したときの日記があればそっちはもっと見たい。
でも、何でもチャッチャカやっちゃうところは、実に好きで
午飯にこの鮮魚を薄片に切り、三倍醋になしオニオン(玉葱)を和してこれを食ふに一個の好下酒物(酒の肴)たり。(P.203、シベリア日記、シグと呼ばれる鮭そっくりの魚を見つけて)
男子厨房に入るべからずなんて、きっと高度成長期に生まれた文言で、江戸っ子の榎本を見る限りは江戸末期やら明治にはなかった言葉なんだろうとか思う。
旅路そのものの記述は実際に読んでもらえばいいとして、渡蘭日記を書き始める前に遭難しているんだけど、助けに来たのか略奪に来たのかは不明だけど漁師を捕まえて
すぐ日本刀をスラリと引き抜いて、漁夫たちの鼻の先にピカピカ光らした。大変な遭難者である。(P.310、解説)
なんてやってたんだから、実にハチャメチャな人なんだと思う。ま、買って読んで下さい。結構面白いですよ。
すなはち知る、この家の如き美屋にてもこの毒虫跋扈するを。磋それ真に厭ふべきかな。(P.60、シベリア日記)
浴後、市川子を拉して鎮台ソプロニェンカ氏を訪ひ、面晤これを久しくする。(P.73、シベリア日記)
予かねてこの魚の必ず北海道石狩テシホ等の河にも在るべきを思ひ居たる(P.183、シベリア日記、アセトリーナ魚を見て)
因みにこの写本はその後武揚が海軍卿の時にその手に返り、現在は宮内省図書寮に貯蔵されていると承っている。(P.322、解説、万国海律全書の行方)
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