北海道地名の謎と歴史を訪ねて

屯田兵の給与地はほかの一般入植者と比べて少なかった。末裔たちは高収入栽培に活路を求めて昭和三二年(一九五七)からチューリップ栽培を始めた。(P.35、上湧別)

この辺は自画自賛ですが、他でコラムにしていますので。

さて、いわゆる地名本。それでも、他のものより結構丁寧に調べているなと言うのが印象。僕も仕事がら、色々と地名などの調べ物をしますので、適当な通説だけ書いてあるものとそうでないものは何となく区別がつくわけです。あと、ただ地名の由来を紹介するのではなく、その土地土地で外してはいけないトピックスも丁寧に拾っています。

北海道になる前の出来事なんかもちゃんと描かれていて

文化四年(一八〇七)、宗谷赴任中の津軽藩士百人が、幕命により奥地の斜里に転進した。蝦夷地の冬は想像を絶する寒さで、そのうえ野菜の不足で浮腫病が蔓延し、死者が相次ぎ、翌年六月に交替船が着くまで七二人が死んだ。(P.126)

かきならす五つの緒ごと音さえて 千々の思を我も曳けり(P.95、松浦武四郎が美深でトンコリの演奏を聴いて)

こんなことまでフォローしている。また、いわゆる開拓従事者の話題なんかも。

「おちぶれた極度か豚とひとつ鍋」(渡辺勝が読むと)「開墾の始は豚とひとつ鍋」(勉三が読み返す。P.75)

医師に余命いくばくもないと診断され、「八雲に帰る」と言いだす。列車で八雲に着いた時は身動きもできず、戸板でわが家まで運ばれたが、二週間後に亡くなった。吉田にとって八雲は、骨を埋めねばならない土地だったのである。(P.153、尾張徳川家の藩士)

そのほかにも近現代のエピソードも結構ふんだんに出ています。北海道についての雑学王を目指すなら一読しておくのも悪くないかも。北海道の旅のお供に是非どうぞ。ちなみに、地元の人もこんなにいろんなことは知りませんので、あしからずって感じではあります。

昭和二〇年(一九四五)八月二〇日、ソ連軍の進撃を目のあたりにした真岡郵便局の九人の若い女性交換手たちは、「みなさん、これが最後です。さようなら、さようなら」の言葉を残し、劇薬をあおり死んでいった。(P.24、宗谷岬について)

この岩内町に、意外にも夏目漱石の戸籍が残っている。(P.25)

消えた地名が復活するとは、平成の大合併も粋なことをする(P.53、追分と早来の合併で旧町名、安平が復活した)

奥尻といえば、あの大地震災害に触れねばなるまい。(P.141)

担当者が広島市、東広島市の隣に北海道の北広島市を並べてしまい、大恥をかいたという笑えぬ失敗談が伝わっている。(P.169、某市での全国の財務担当者の会議の席作りで)

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