ノモンハン事件の真実

「なぜフイ高地を死守しなかったのか。もしあそこで全員戦死しておれば、シベリア出兵のときに全滅した田中大隊のように、歌にも歌われるだろう。貴様たちのような意気地なしを部隊に帰すと、将兵の士気が阻喪する。死んでしまえッ」(P.157、荻州軍司令官)

終わってる。日露戦争に勝った意味なし、というところまで台無しにした愚かな戦。

「なんという荒野だ。こんな土地に五ドルだって払うつもりはないね」と戦場取材で訪れた外国人特派員はつぶやいた(P.120)

こんなことまで言われる場所で、むやみに人を殺したのは自軍の愚策だ。

須見連隊長は怒った。それは関東軍の参謀たちが敵戦力を過小評価し、このような悲惨な状況に兵を追い込んだことに対する怒りだった。(P.72)

こんな状況で、何をしでかしたかと言えば

ノモンハン事件で日本陸軍が考えたのは、兵士を武器として使うことだった。日本陸海軍はその路線の延長で太平洋戦争を引き起こし、惨敗した。(P.8)

ということだ。機甲化せずに白兵戦のみをやるという天下の愚策を示した。

旭川にあった第七師団の将兵一万三〇八人が動員され、実にその三三.六パーセントに当たる三三五七人が死傷した(P.66)

日本軍の強さは、こうした真面目な兵によって支えられていた。彼らは北海道で厳しい暮らしをしてきた買いたく農民の倅が多かった。(P.154)

という悲しい結末。強みをただ殺す愚かな作戦。ロシア側も勝ち戦で蛮行を繰り返す。

「おっ、白旗を出したぞ。敵は降参したのかな」と言って前方を見た瞬間、藤岡大隊長が急に崩れ落ちた。これは敵の策略だった。(P.112)

田原少佐は兵を叱咤して前進した。そこに日の丸の旗を掲げた戦車が来た。日の丸に感激して飛び出すと、敵だった。機銃でバラバラと撃たれ、草原を地で染めた。(P.180)

などと、平気でだまし討ちをする。旭川で育ったぼくはじい様世代から、このせいで「ロスケ(ロシア人のこと)は好かん。ロスケは信じるな」と繰り返し聞かされて育つわけです。北海道人でロシア人嫌いな人が多いのは、この時に生まれたんだと思う。
坂の上の雲で日露戦争を考えるのも大事だけど、そのあと、日本人はこんな過ちで、その成功を台無しにしたことを忘れてはいけない。

このノモンハン事件、今日もなお日本のあちこちで起こっているのではないか。そんなことを感じるときがある。それは行き過ぎた精神主義である。(P.261)


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