中の人などいない@NHK広報のツイートはなぜユルい?
今、NHKが緊急体制で放送しているのは、できるだけ多くの命を守るためです。それなのに、その放送が届いていないのなら......。どんな手段を使ってでも、情報が届かないよりは届くようにした方がいいに決まっています。現地の状況は分かりません。インターネットが使えているのか、本当にこの動画の映像が届くのかどうかもわかりません。でも、たった一人にでも情報が伝わる可能性があるのなら、それで一人でも助かる人がいるのなら、私がクビになるくらい、たいしたことではありません。(P.185)
僕がNHK_PRのアカウントを意識したのは、まさに3.11。中学生のネットでのNHK垂れ流しを、がっちりツイッターでRTして拡散をしていた時。クビ覚悟でやるとはなかなかやるじゃんか、と言う思いとこれで本当に首にするような組織なら先はないなと思って事態の推移を眺めていました。というか、私の方も、そんなに余裕がなくて、ガリガリ真偽の確認をしながら自分のポリシーに従ってRTをしていたので、頭の片隅に気にしてって言う感じでしたけど。
で、その硬派な事態での対応もさることながら、ゆるツイートで有名なNHK_PRのアカウントを立ち上げて運用していた方の著作です。久々に、この手の本で良書と言える副読本を得たというのが感想です。公民の副読本には「条例のある街」が良いという気持ちになりましたが、今後、情報とかソーシャルメディアが学校や年齢を問わず授業で扱われるなら、この本こそ副読本に採用していただきたいというぐらいの本です。
特に、IT関連の教本や授業はこて先やお作法論に走りがちですが、この本は、まさに原理原則が詰まっています。そしてそれが読みやすくまとまっている稀有な本であるというのが実感です。
当然、弊社のソーシャルメディアセミナーの副読本に、私が講師の分に関しては採用決定です。隗より始めよです。
以下、抜き書きの解説はしません。あくまで自分用の学習メモです。ともあれ、まずは買って読まれることをお勧めします。
私がツイッターを始めるずっと前から、長い時間をかけて考えてきた理由で、結果としてゆるいツイートになっているだけなのです。(P.5)
「これからNHKにはたくさんのアカウントが出来ます。それらのアカウントは宣伝をします。番組の宣伝です。でも、あなたのアカウントは宣伝をしません。それはとても面白いと思います。とてもユニークです」(P.41、K氏)
自分で自分のツイートを面白くないと思っているのですから、他の人たちが面白いと感じてくれるとは思えません。(P.56)
「本当に宣伝したいのなら、放送で伝える方がツイッターで伝えるよりもよっぽど広がるから」(P.63)
「たくさん知り合いがいることよりも、数は少なくても仲良しの友だちがちゃんといることを目指す方がいいんですよ」(P.81)
間違えてしまった時に、それが重大な問題になったり、誰かを傷つけたりするようなものじゃないなら、あわてて削除するのではなく、間違えたことをちゃんと謝ればいいんです。間違うことをためらわない。(P.92)
マスメディアしかなかったころは、名称を言うだけでも宣伝になったのかも知れません。でも今や21世紀。このネット時代に、まだそんなこと言う人がいるのかな。(P.107)
「結局はフォロワーのみなさんを信じること。徹底的に信じること。私はそれに尽きると思っています」(P.127)
「だから(みなさんは)家族なんです。もっと言えば、家族よりも強い関係なんです。みんながNHKそのものなんですよ」(P.171)
あとから「なぜあの時にちゃんとツイートしなかったのか」と言われるくらいなら「結局は何もなかったじゃないか」と怒られる方が、まだましだと思ったのです。(P.195)
『不謹慎ならあやまります。でも不寛容とは戦います』(P.201)
「ツイッターを使っている人は、みんな同じ条件で同じ場所にいる仲間なんですよ。企業も個人もフォロワーの数も関係ありません。出来ることはたった一つだけ。140文字を使って世界に言葉を発信するということだけです」(P.217)
「中にいちゃダメ?」/「うん。みんながいる場所に行って、みんなと同じ場所に立って、出来るだけみんなと同じ視点で話をしなきゃ」(P.236)