AIR DO―ゼロから挑んだ航空会社

拓銀が破綻したからこそ、エア・ドゥが離陸しなければ、北海道の未来はない。(P.128)

日本の航空業界に強烈なインパクトを生み出した、エア・ドゥ設立までの経緯を記した、当事者として奔走した故浜田氏による書。
正直、いま、自分がこんなに飛行機に乗る生活をするようになるとは夢にも思っていなかった。同社の事業は羽田-千歳間の運賃低廉化による北海道へのメリットだけではなくて、実際には、ほぼ全路線にわたっての、割引メニューを生み出すきっかけになってしまった。実際、私自身、公私共に、名古屋-北海道間を中心に全国各地への各種の割引メニューによって尋常ではないメリットを享受している。航空運賃がこのような状況でなければ、実際自分が起業して曲がりなりにもやっていけたかどうか。
競争路線をやっていない路線、さらには人の就労スタイルにまでインパクトを生み出しているといっても過言ではない。

社会還元が目的であって、その結果として運賃の低廉化があるということです(P.104)

この価格の低廉化が生み出した社会還元の大きさは計り知れない。実は、初期のエア・ドゥの戦いは、北海道の活性化のための戦いではなく、日本を変える戦いだったのだ。

確かに、民事再生法などをくぐって、全日空傘下となった今のエア・ドゥは、この書が記したエア・ドゥではない、という意見もあるだろう。しかし、実際には、傘下になってからも羽田-女満別などを就航させるなど、「北の翼」として、その責務を粛々と果たしている。
短期決戦で生み出した社会還元。すなわち空の道を普通にするということに成功した後、スタイルを変え、地域を活性化させる路線としての長期戦のための体制に代わったということだろう。

ただ、残念なことに、いまだ北海道そのものは他地域と比してあまり元気ではない。
北海道のやる気みたいなものを取り戻して頑張れば、絶対北海道はよくなると思うんです。(P.115)
という言葉を今一度思い返すべきではないだろうか。そして、今度こそ
北海道のことは北海道人がやる(P.122)
という気概で、自分の住む地域をエア・ドゥを活用してよくしていくことを考えていこう。そうでなくては北海道人ではなくなった僕としては応援してあげる以上のことはできない。

拓銀がつぶれても、エア・ドゥはちゃんと離陸したんだ。北海道には未来はあるはずだ。