広告に携わる人の総合講座―広告のすべてがわかる!理論とケース・スタディー〈平成9年版
これまでの日本の消費市場の拡大は、ある意味では理念なき膨張だった。(P.53)
日本の広告業界は、文型出身者にとっての花形就職先だった。そういう頃から、ちゃんとこういう総合講座はなされていた。にもかかわらずどうしてこんなことになっちまったのかな、という気がしないでもない。
ちなみに、たまたま家にはバブル崩壊後の平成大不況真っ只中の平成9年版があったので目を通してみた。今読んでも陳腐じゃないってことは、広告業界は進歩発展してこなかったこと、ということなんだろうが、もっと以前のバブルの頃の失われた10年をもろに被った結果のような気がする。
私たちは人さまの権利を上手に使いながら広告の表現物を作っていく。(中略)トラブルは「これぐらいならやっていいかな」とだまって使ってしまうことから起きる。(P.42)
かくいう私も、広告業界志望であったわけだが、結局、マスコミに入ってすぐ退職してしまう。実は、マスコミの情報以上に、広告というのは人様の情報やら素材やらに寄生している商売だ。相手が居ないと存続も存立もしないストレートな寄生商売なのだ。ぼくは、その寄生商売がしたかったのだ。で、今ではコンサルという、寄生商売という意味では五十歩百歩の仕事をしている。
寄生商売というのは、相手を成長させてあげることも大事だが、人様あっての自分という謙虚な姿勢こそが大事だ。
もともと広告の活動は自由であったものが、いま不自由になっているのは自分たちが招いたもの(P.33)
というのは、バブルの頃、意味なく踊り狂って、寄生商売の本質を忘れたためだろう。いまでも、この号が通用するのは、そうした時代の反省がことの本質をたまたまついているからなのだろう。