8月17日、ソ連軍上陸す
「反撃命令を下したことは、いまでも正しかったと信じております。しかしながら、終戦になって、国に帰れると思っていた戦死者や、ご遺族のことを思いますと......」(P.344、村上元少佐、札幌靖国神社の慰霊祭で)
正直感謝しています。その反撃がなければ、今の日本はありません。少なくとも道産子は別の国の存在になっていたかもしれません。どんだけ、火事場泥棒で図々しく身勝手な連中を相手にしていたのか。
日本軍が停戦命令に服しても、ソ連軍側に中止する意志はなかった。(P.282)
「われわれは占守島を一日で占領するつもりであった」(中略)「そちらがその気とわかっていたら、わが日本軍は君たちを海へたたき込んで殲滅したであろう」(P.324、グネチコ指令と堤師団長の会話)
こんなことをほざいても守ってくれたわけです。実際に
北千島の日本兵は強兵だったのである。(P.358)
で、
あの危急時に池田のような名指揮官が北千島いたのは、ソ連の占領を体験せずに済んだ北海道の日本人にとって幸いだったことも忘れてはならない。(P.365)
という状況下だったわけです。もはや感謝の念しかありません。こういう人が連隊長で、
「われわれは大詔を奉じ家郷に帰る日を胸にひたすら終戦業務に務めてきた。しかし、ことここに至った。もはや降魔の剣を振るうほかない」(P.224、池田聯隊長)
「大学在学中の者まで動員せねばならぬところまで戦火を拡大してしまった日本軍部の上層部は間違っている。貴様たちはご両親が苦労して大学にいれて、その得た知識を国のために活かすのが使命で、その知識を命にかえてしまうのは残念である」(P.149、池田聯隊長)
ありがたかったんじゃないのかな。ロシアもいい加減気がついてほしいですね。ちゃんと和平条約結びましょうよ。誠実にね。火事場泥棒根性は出さないでね。
戦後、六十三年を迎える。昭和二十六年九月、サンフランシスコ講和条約に、ソ連は調印を拒否した。従って千島列島と南樺太は、依然として日本の領土である。(P.341)
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