現代童話〈4〉

こんなことしたら、もう永久にエージくんとは仲直りできなくなってしまう。やめてもらいたい気持ちが、のどのところでさわぎたてていた。(P.169、だれか、友だち)

このシリーズもそろそろ後半。時代的にはちょうど僕らぐらい。ただ、だいぶ変わったなぁとおもう。悪く言えば、百年の誤読でいう1960年のフォッサマグナってのは、童話の世界でも結構顕著ではないかと思う。それは悪くなったというよりは、読み物の質的転換なんだと思う。

どう違うのかはいえないけれど、なんというか、より身近でより理解しやすくより考えなくていいという文章。その分、読んでいて「そうそう」と共感しやすい文章が多い。で、その分、解説の屁理屈も変になってきている。そりゃそうだ、理屈よりも質感で出来上がっている文章なのだ。

純文学ではダメかもしれないが、童話ではいいかもしれない。読んでみて、自分も、そうそうとか共感してしまう。そんな子どもだったよ、俺。

(だれがかあさんのいうことなんかきくものか、わたしはぜったいにいい子になんかならない。)(P.189、椅子)