昭和16年夏の敗戦


「いったい戦争の後のことは考えているのか」(P.145、前田「青国」企画院次長)

えーと、国会答弁で石破氏が紹介して、一躍有名になったというか、僕はちょうどその答弁を聞いていて、すぐに買いに走って、近所のショッピングモールの本屋で買ってしまいました。こんな歴史の裏舞台があったんだと正直驚きました。
各界の若手エリートを集めて、日米戦の行く末を洞察させた研究所を作っていたなんて。で、さらにいえば、その予測は

総力戦研究所研究生が模擬内閣を組織し、日米戦日本必敗の結論にたどり着いたのは昭和十六年八月のことであった。(P.158)

十六年夏、彼らの内閣が到達した結論は次のようなものだったからである。/十二月中旬、奇襲作戦を敢行し、成功しても緒戦の勝利は見込まれるが、しかし、物量において劣勢な日本の勝機はない。戦争は長期戦になり、結局ソ連参戦を迎え、日本は敗れる。(P.83、模擬内閣の報告会)

統監部(教官側)と研究生で組織する<内閣>の"往復書簡"は、真珠湾攻撃と原爆投下を除いては、その後起こる現実の戦況と酷似していた(P.202)

となっていて、意図してなのか偶然なのか、仮想国家青国のありようは

統帥側の主張を、有無を問わず呑まねばならない「青国政府」。この構図は、実際の大日本帝国の政府と統帥部の関係によく似ていたのである。(P.125)

という状態で、実に現実に即していて、ある意味予測が当たったからといって逃れようもなかったんだろうなと思う。だから

この戦争に「日本必敗」の結論が出ていたことを、この時東條は思い出しておくべきだったろう。(P.116)

といわれてもにっちもさっちもいかなかったんだろうなと。なんだか実に悲しい話。別に東條が正しいとかいう気はないけど、

教師が「戦犯の孫の担任にならん」といった。(中略)「東條君のおじいさんは泥棒より悪いことをした人です」/生徒にそう教えていた生徒もいた。(P.216)

こんなことをいう腐れたオッサンにはなりたくないなと。で、残余のメモはそのままで。

「いったい、明日から何が始まるんだろう」(P.32)

「戦争遂行も、カネじゃなくて、モノをどれだけ確保していくかにかかっていた」(P.147、佐々木「青国」日銀総裁)

もはや戦いの勝ち負けはどうでもいい段階に来ていた。それよりも研究生らが関心を抱いたのは国内対策のほうであった。(P.154)

陸軍省は、石油政策に対する思想も何もない、ただの役所だったのだ。(P.169)

数字の客観性というのも、結局は人間の主観から生じたものなのであった。(P.190)

肩軽し これで通すか 閻魔大王(P.229、東條、東京裁判の証言を終えて)


【送料無料】昭和16年夏の敗戦

昭和16年夏の敗戦
価格:680円(税込、送料別)