勉強に対価はいらない

ぼけーっと主婦・主夫向けの情報番組をながめていたら、正解をするとポイントがもらえて、そのポイントでモノがもらえるという塾を紹介していた。番組のキャスターは、勉強する習慣がついていいとか言っていたけど、僕個人としては、そんなんでつく習慣は、目先の餌がないと勉強しないというダメダメな習慣がつくだけだと思う。学ぶという行為に何の対価がいるのかと、むしろ思ってしまう。

とはいえ、多くの家で、テストの点が良かったら、なんか買ってあげるよってのは、結構横行している。モノをくれるから学ぶ。さらに言えば、ものをくれる親のために学んでやる。それは最も誤っていることだと思う。モノをくれなくても学ぶ。学びたいから学ぶ。自分のために学ぶ。これが正しい学習というか勉強のあり方だと思う。けど、どうやらこんな風に考えるのはマイノリティのようだ。

なんで、そんな風に思うのかな、と思うと、自分の親がそうやって僕を育てたからだと思う。テストの点数が良かったからといってモノを買ってくれたことはない。買ってとねだったことはあるが、成功したためしはない。「勉強なんか自分のためにやるものだから、お母さんが恩に感じることは何にもないよ」と、言われて終了。この件だけは僕に甘かった祖母も買ってくれたことはない。
親にしてみれば、苦労人だったので、農作業の合間に新しいことを学べるというそのものの楽しみを強調していたんだと思う。そのせいか、目先の何かに対して得しないと学ばないなんて、なんだか浅ましいと思ってしまうわけだ。

確かに学ぶと得をするし、知識は上手に換金して、経済効果を生み出すこともできる。いまでも、僕自身は学んでそれを金にして食っている。でもそれは、学んだという行為に対してくれる対価ではなく、学んだコトを世に役立てた対価で、お金をもらえるということだ。なので、知識は確かに金にはなる。自分が生きるためにも知識が金になる社会は大事だと思う。
けれど、自分のためになることですら金を貰わないとやらない、そういう習慣づけをしようとする社会のありようは、おかしいんじゃないかと思うわけだ。少なくとも自分の子供は、金やらモノなんかもらえなくても嬉々として学ぶ習慣をつけて欲しいとか思う。

でもさ、ちびっ子って、嬉々として勉強したがるよね。うちの下のチビがまさにそういう状態。なんで、みんな勉強嫌いになっちゃうんだろう。不思議だ。