かじだ。うー。(火事だ!うー(サイレン音))
最近、わくわくセンターに座っていて思う。
というのは、心神系の障害のネタに全く動じない自分がいる、という事実。というか、あらゆるその手のハンディキャップドに対して異常に分け隔てがない。他の職員さんを見るとそれなりに感情移入したり、家族に同情したりしているんだけど、感情が欠落しているのか、殆ど気にならない。
軽度の方がいらして接客するときも、健常も何も変わらん会話ぶりでしか扱わないので、「えふさん、冷たいからなぁ~」とか言われる始末。まぁ、多少繰り返し話してあげたり、言い換えをしてあげたりはするけど、内容が詰まらなけりゃ詰まらんと言って続きは聞かないし、おもろいネタであっても突っ込みを入れるタイミングは健常と同じ。
僕自体は、途方もなく幸せな家庭で育っているし、そういうご家族やら、ご本人の苦労を知らないからこういう態度でいるだけだとは思う。でも、こういう普通の幸せな家庭で育った人は他のセンター職員もそれ相応に同じなわけで、きっとこういうスタンスでいることには何か原点があるんだろうなぁと思いながら、昨日、自転車でセンターからの帰途についたわけだ。
で、道中、頭を巡ったのが
「かじだ、うー」
って叫んで走る子を追いかける風景。
小学校の低学年のときに、初めて転校というのをしたんだけど(以降は転校の日々)、その転校先で、何もわからず、誰彼かまわず友達になりたくて、「一緒に帰ろう」って声をかけていた時期があった。その中のある子が、今思えば、知的障害か精神薄弱の軽度だったんだと思うが、一緒に帰ってくれた。そのとき、校門を出るや否や、彼が「かじだ!うー!」って叫んで走り出したわけだ。で、僕は、転校したてだし、この学校の特有の遊びかと思って、確か一緒になって「うー」っていって追っかけていた記憶がある。
その子とはとってもよく遊んだことを覚えている。一学年あがってクラス換えになってから,その子とあった記憶すらないのだが、その学年のあいだは、一緒にいっつも帰って(当然、時々、うーって叫んで)、家に帰らず、そのこの家に一緒に直行していた記憶がある。日が沈むぐらいまで毎日遊んでた。結構大きな家で、家の中を徘徊した記憶は多々あるのだが、そこの家の親御さんにあった記憶はない。個人的には、遊んで色々楽しかった記憶がある。彼と遊んでいて嫌な思いはしなかった。
後に、実家の親にこの件を聞くと、やっぱりそういう病の子で、地域では爪弾きだったらしい。親御さんはそこそこ名士なので、病を認めれなくて普通学級に無理やり入れていたということだ。で、この子と遊ぶことは、うちの親も色々と心配していたようだ。とはいえ、外野に「バカがうつる。遊ばせるのをやめたほうがいい」といわれていたからといってバカがうつることを心配したのではなく、まっすぐ家に帰ってこないことと、なんかあったときに、相手の親もろくに家いない、相手は意思疎通に多少欠陥がある子ということで、対処できないことが心配だったようだ。
とはいえ、子供の僕の判断を信じて我慢して放って置いてくれたらしい。
その後も、転校した先が普通学校に養護学級を設けていたり、そういう子がクラスにいたりした(ようだ)けど、小学校の早い段階から、こういう感覚で生活していたので、分け隔て感が育たなかったようだ。今センターにいて、この感覚はとっても貴重なような気もするし、常人離れ的なもののようでもあって場合によっては邪魔なような気もする。でも、自分としては、こういう感性に育ったことはいいことだと思っている。
ちなみに、うちの子供の小学校も、そういう子供も一緒のクラスで学ぶようになっている。こういう感覚を持つ子に育ってもらいたいと思う反面、地域の常識というものもある程度理解をしてもらいたいというのも思う。良かれ悪しかれ、感覚的な何かと理屈上のものと両方持つのは大事なことだし。
ともあれ、僕にとっての「かじだ。うー。」に相当する原体験を、子供達には持ってもらいたいとか自転車に乗りながら思っていたわけだ。