社会システム対峙する知恵と勇気を持って(中高生の子供たちに)
中学生にもなると、人間いろいろ思い悩むもんなんだなと、自分の子供を見ながら思うわけで、じゃぁ、自分はどうだったのかなと。
うちの子を見ていて思うのは、多様な人間関係ができてその関係性の中で、どの関係とどの関係にどんなバランスを取るのかとか、そういうことをきっと悩んでいるんだろうと外目に見て思う。きっと、親も基本的に好きで、友達も、先生も、部活動も、勉強も、そんなに心底嫌いだったり憎んでいるわけじゃないんだろうなとは感じる。
積み木崩しのドラマで、不良になった少女が親に熱々のアイロンを母親に投げつけようとして、母親が「やりたければやればいい」と言った時に「自分の親を殺せるかよ」と捨て台詞吐いて出てくシーンがあったけど、あそこまでエスカレートしていないけど、何か分からない悩みと闘ってるんだろうなと。
んだけど、そもそも、自分は中学校の初めのころって、そんなこと悩んでなかったよなぁ。ノー天気に、爆竹の火薬をマブチモーターに友達と詰めて爆発させたり、ゲームで遊んだり、プラモ作ったり。多分、その後いじめとかにもあったけど、その辺からモノを考えるようになったんだと思う。(この辺の頃のことは、BLOGにさらっとは書いた)
なんで、いじめられるのかなとか、そもそも、なんで彼等は僕をいじめるのかなとか。表向きの原因はあるけど、それがあるにしたって、そんないじめの量とその原因は釣りあわない程、いじめってのはひどいわけです。いじめる相手を殺したからって単純に解決なのかなとか、じゃぁ、どうやったら本当に解決なのかなとか。
勉強の出来る子と出来ない子の区分が、できる子にとってもできない子にとってもある種のプレッシャーなんだろうなと、中学校3年で思い至ったんだよね。自分の中で、いじめの元凶の一つなんだなとは思った。自分という個人がそれに立ち向かう方法なんて思い浮かばなかったけど、弁論大会で、「義務教育ではない高等教育を義務のようにとらえて、学問の志向もないのに受験することはいけないことだって」主張したんだよね。だからと言って、何かすぐに変わったわけじゃない。でも、自分だけはそうやって高校を選んで行こうと思ったんだな。
でも、運って奴は結構意地悪で、高校は不合格。まるで自分の主張をあざ笑うかのように、全く自分の学問的志向と無縁の田舎の高校に二次募集で行くことに。
その時には、個人からいじめられる以上に地域社会からいじめられた。その高校を通っているという理由だけで、さんざんな目に合った。コソコソ陰口もたたかれた。本当に、こういうプレッシャーって社会一丸となったいじめなんだなと思った。今でもそう思う。その延長線上にあったのが、中学校の時にあったいじめの原因なんだなと思った。
この時、受験の序列とか、いい学校とかそういう社会が作る集団幻想が、本当に自分が対峙すべき問題なんだと自覚した。
それからは、学校内のテストの成績表は先生の眼の前で破る(序列を決めるための成績なんて無意味でしょ)という儀式を繰り返したり、大学受験を目指した(バカな高校からだっていい大学行けるんなら、いい高校なんて無意味でしょ)り、と社会と戦ってみた。結果、残念ながらそんなにその点では社会は変わっていなくて、40歳になっていまだに戦っていて、今一つその問題を解決して、いい社会を中学生の子供たちにあげるという義務を果たせてはいない。
とはいえ、そうやって戦った挙句に今の自分がある。多分、いま中学生になったみんなが抱えているモヤモヤって、大事なモヤモヤなんだと思う。そのモヤモヤの正体を真剣に追い求めて欲しいんだよね。多分それは、社会システムの問題から起因する何かであって、親や先生やマスコミが短絡的に教えてくれる問題でも、ましてや解決手法を教えてくれる問題でもない。
そのモヤモヤの原因を作り、動かし、維持しているのが僕ら大人なんだ。子供たちに学びが必要で、その学びのための時間がなぜ必要なのかと言えば、そうして社会の問題を探索し、発見し、直していくからなんだと思う。
中学生や高校生が感じる「私の悩みは親や先生は分からない」というのは本当のことだ。だからこそ、自分で考え探求することが大切なんだ。そしてそれにはきっと短絡的で簡単な解決は無い。まずは、僕自身は、学校の勉強は絶対社会に出て役に立つと信じているけど、それを身につける学校という社会システムはどうなんだ、というところからの疑問からでも始めて欲しい。
先生や親のせいにするんじゃなくて、先生や親がこういうアクションを取るようにできている社会システムに目を向けて欲しい。
そして、社会人になった時の自分の生きるテーマとして、しっかり社会システムの問題と対峙できる人間になってもらいたい。
「上手くやっていけないな」という、中学生や高校生の時の感覚は、とっても大事だ。でも、そこから自分一人を守るために逃げるんじゃなくて、しっかりその原因を生みだす社会システムをしっかり見つめて、戦う大人になって社会人になってもらいたいな。
と、自分の子供を含む、思春期の悩みを抱える子供たちに伝えたいところです。