土地代の本質ってなんだろう

以前、お金の本質は、モノに払うのではなくヒトに払うのにある、という趣旨のエントリーを書いた。これ自体はその通りだと思っているけれど、ふと、土地代っていう代物に僕らは金を払っている。

それは、土地の利用権なわけなんだけど、土地そのものに価値があると思って払っていて、その人の手間の本質ってなんだろうとか思うわけだ。確かに、地番管理をしたり、区割りをしたりという手間代のような気もするが、それにしては、あまりにも高いのではないか。
ふと思ったのだが、地番管理をしたところで、その権利を相互承認し審判する人がいなければそれは成立しないわけだ。そうすると、実は、その仕事ってのは、隣近所からの権利侵害を抑えるという意味では、警察の御仕事だし、もっと大きく国家間の土地の管理とその権利擁護ということになると、いわゆる外交と軍事の仕事なわけだ。
そうすると、本来の土地代というのは、軍事費と警備費と外交費用が乗っているわけだ。そのベースがあって、細かな区割り管理や取引手間賃が発生する。

そうすると、やっぱり土地代とはいえ、所詮は人の手間賃であって、話は落ち着くところに落ち着く。じゃ、土地代って、軍事と外交と警察向けの目的税化も出来るって気もしてきた。さすがに、これは論理の飛躍なので、真剣に考える気はないけど。