お金のつながりの前に人のつながり

いつも書いていることだけど、なんだか急に書き残したくなったので。

人のつながりの上に、お金が流れるのであって、お金の流れの上に、人のつながりが成立っているのではない。

お金の本質を考えると、こうなるのではないかと。
お金はモノに払われるのではなく、ヒトに払われるもの。モノに払っているつもりでも、実際はそのものをつくる人の工賃の集積でしかない。仕入れがあったとしても、その仕入れ部材をとってくる人の手間賃を払っているのであって、モノそのものにお金は払っていない。
CSWの植松さんが以前、講演で言っていたように、鉄鉱石を産出してくれる地面そのものにお金を埋める奴はいない、というのは明らかな真理。

どこまでも、金は人のためにあるのであって、モノの為にあるわけではない。そう考えれば、おのずと人のつながりと金のつながりの主従なんてハッキリしている話。むしろ、人のつながりの潤滑油だからこそ、重要であり、その価値がある。だからこそ、社会を形成すべきだし、その社会においてのお金の価値が生まれる。人のつながりで出来ている社会をなくして、金に価値はない。まずは社会を形成する基本できる、人のつながりを認識するべき。
だからこそ、ヒトと接触しないで、お金とモノやサービスだけを受けようとするのは間違い。基本は、すべて対面でお金は授受すべき。それでこそ、お金の本当の価値が分かるというものだ。

でも、いまの世の中、お金でしかつながらないヒトが出てきている。これではいけないと思う。お金のつながりの前に、人のつながりをどう構築していくか。これが最も大事。その上に、初めて金融経済が成立しているはずだ。生きるのが苦しい人は、金の前に人を欲すべき。まずは、人のつながりを真面目に作る行動こそ大切なはずだ。苦しさの本質を見誤ってはいけない。