賎業ってなんだ
とってもリスペクトしている大学教授の方がBLOGで書いたネタを読んでいて、ちょっと思ったのですが、僕の思っていることは論点がずれているのでコメントではなくこのBLOGのほうで書く。
まぁ、まずは該当BLOGのご紹介。
軍事は賎業か
http://myhome.cururu.jp/camuispaceworks/blog/article/81002812558
基本的動物権
http://myhome.cururu.jp/camuispaceworks/blog/article/81002814095
で、僕的な論点で行くと、タイトル的には前のエントリーで、内容的には後ろのエントリーのコメントのほうという感じの話。軍隊(もしくは自衛隊)という商売が職業としてどうかという話なんだけど、基本的には、「職業に貴賎はない」という思想を僕自身は一貫して持っているので、いまひとつこの手の議論には違和感を感じるわけです。
軍事であろうがなんであろうが、職業ってのは、一般的にそこに必要とする人がいて、その職業を適切に全力で相互に行なえば、世の中は適切に回るわけです。で、適切ではない職業が仮にあるなら、経済原理にのっとって潰れてみたり、法にのっとってその手の仕事の開業が禁じられるわけです。
あくまで人が人の世を構成するために必要な人と人のつながりを生む手段でしかないのだから、そこに貴賎はないわけです。
で、その貴賎のないもののために、他方を見下したり過度に祭り上げたり、自分を卑下したり、おごったりすることは、全く持って無意味なわけです。
ただ、その職を実施する人がその職業において必要な倫理観と能力を持たず、身勝手にその職を振り回すという行為をするに対して、その人が賎である、という話になるだけです。もっといえば、その職業において優れた能力を持ち高度な倫理観を持って取り組み続ける人を貴しとするだけのことです。
ちなみに、人の職業を見下すという行為は、自分の職業を見下すという行為と直結しています。例えば、人の仕事を買い叩けば、その買い叩いた人の仕事も回りまわって買い叩かれるようなものです(デフレスパイラルってやつですね)。世の中というのは良くできているなと思います。
仕事をする上でも、「こんな仕事、俺のやる仕事じゃなぇ」という台詞は、自分で見下すような下らぬ業を、自分の力でする能力もない無能な人間と自己宣言しているようなもので、醜いことこの上ないわけです。
大切なことは自分の目の前の業をちゃんとやることと、それ以外の業を一生懸命やるという行為に対して充分な尊敬を払うということだけではないかと。マックスウエーバーが職業としての学問の中で学生に対して「ザッヘへ帰れ」とはよく言ったものです。他人の業をなじる暇があれば、自分の業を一生懸命やればいいわけです。大事なのは、自分の業を一生懸命こなした後に他人の業にとやかく言う暇ができたのなら、世の中は単一の仕事で構成されえない以上、基本的に業そのものはどんな業でも尊敬すべきだと思います。
#とはいえ、僕は人間が出来ていないので、時折他人の業をなじったりしますけど(苦笑)
それにしても、人間どんな仕事していたっていいじゃないですか。一生懸命生きているやつが一番素敵だと思いますよ。そういう人とこそ飲みたいですしね。