僕が株をやる理由

上の表題は正しくない。僕自身で稼いだ金で株はやっていない。
むしろ家内が稼いだお金の資産運用の一環でやっている。
なんで、こんなことを書くかというと、先週末に「別に儲けるために株をやっていないし、儲けるためにやれば損をする」と、家内に言った。なんか、出張直前のその発言を忘れた頃に「儲けるためじゃなくて何のために株をやっているの?」と言われたから。

答えのひとつは、やっぱり、家内に言われたから。そりゃ、自分の稼いだ金じゃない。一応、夫婦共有の財産と入っても、家内が一生懸命汗水垂らして稼いだお金だ。僕の一存で始められるものじゃない。頼んだ家内の思惑はとりあえずよく分からないけど、僕は言われたから始めた。

でも、儲けるためにはやっていない。運用成績は確かに悪くない。というか、むしろ良いと思う。
でも、運用成績が目的ではやっぱりない。株式はやっぱりその会社の株主になることだし、株主になったからには、その会社を部分的といえど所有しているということの表れだ。その会社が儲けているかどうかより、社会に役立つ、もしくは今後役立つということが大切になる。儲けていても犯罪すれすれじゃしょうがないし、社会の歪みを拡大するような仕事もごめんだ。
そりゃ、経営者の責任であって株主とは無縁という考え方もあるかもしれない。でも、経営責任もあるけど、所有責任もあると思う。いわば、悪しきものを所有すした以上、その悪しきことを是正させる責任はあるし、是正できない場合は所有を放棄する責務もあるはず。事業の所有を通じて、未来に対してより良い社会を作ることが重要なはずだ。その事業の所有を示すのが株である。その株を所有することは事業を所有するという意味である。その事業に対しての所有責任をもつことであり、株式をやる理由に他ならない。
単にそういう企業は、普通に業績も良くなるし、株価も基本的には右肩上がりである。だから運用成績も良くなるだけ。

なので、儲けるために株はやっていません。株を通じてより良い社会を作ることに貢献している。それ以上でもそれ以下でもない。