廃業

事業をしていると誰でも一度ぐらいこれは考える(と思う)。

個人の人生を個人の意思でやめるのが「自殺」なら、法人(もしくは個人事業)の存在を事業者の主体で辞めるのは、この廃業。表現を変えるなら、「法人の自殺」見たいなもんだ。
人それぞれなんだろうけど、僕は、この廃業をちょくちょく考える。3年で1円でも黒が出なかったら「廃業」と家族に言われていたこともあるし、いまでも、やっぱりこれは考える。ここんところ出張の疲れもあってなおそうだ。

私の場合、「儲からないから廃業」というのは、案外考えない。やっぱり疲れているときとか、プロジェクトの進行が各社の善意に基づいて遅れている場合とか、周りが自分の都合を振りかざしてことが進まなくなっているときとか。小事業主(=SOHO)だと、どうしても自分一人じゃ何もできないので、人間関係というか法人関係で悩むときなんだな。
#人の自殺も、人間関係が多いみたいだしね。直接的引き金が金であっても
#やっぱり人間関係がらみ。

幸いにして、Aという関係性の中で廃業したいぐらい困っていても、Bという関係性の中では、偶然にも必要不可欠という状況があたったりするので、そう簡単に廃業はできないで今まで来ている。
そういう意味で、廃業しないで生き残っているということは、何らかの形であれ世の中に必要とされているってことなのかもしれない。

田舎にこもって一人SOHOをやっていると「必要とされているということ」が見えにくくなる。余計心労がかさむし、疲れる。疲れると、廃業をどんよりと考え出す。どんよりと考えると回りに対して疑心暗鬼になる。疑心暗鬼になると法人関係がうまくいかなくなる。そうなると疲れる。と、どんどん、気分は廃業に向かう。

何がいいたいのかというと、廃業と向き合いながら仕事をすることは大事だけど、周りと常にコンタクトとコミュニケーションを直に対面して行なっていないと、それは気分を暗くするだけのこと。

明るく楽しく、廃業と向き合いながら仕事しましょう。