朝の交通安全運動の風景で思ったこと。
昨日今日と家の外が朝方騒がしいわけなんですが、要は交通安全強化週間かなんからしく、隣の会社の方々ががんばって、「交通安全」とか「速度落とせ」とか書いてある看板持ったり旗振ったりしているわけです。まぁ、この辺の会社さんは自動車関連の会社が多いこともあるので、部署とかで事故を出せば、部署をあげて同じようなことをしているんですんで、わりと見慣れた風景ではあります。
車を運転しない私が私見でこんなこと申し上げちゃいけないんでしょうけど、あれって、交通事故の減少や地域の安全性の向上になんか効果あるんでしょうか。多分、人が張り付いている交差点ぐらいは効果あるんでしょうけど、地域にはたくさん交差点があって、そんな会社の正門前とか(うちはわりとそのそばに住んでいるんで)でいくらやっても、大方の地域住民の生活圏とは無関係なように思えます。
事故に対する懲罰的な意味合いの交通安全運動とかって、実は本末転倒で、交通事故が悪いことだから交通安全運動をするのではなく、まずは交通安全が最優先で、結果、不幸にも交通事故を出したかどうかが問題なわけです。個人的には、そういう空気を社内で醸し出すためにも、忙しいのは重々承知ですが、日常的に事故と無関係で地域の中で交通安全運動をすべきであると思います。
さらにいうなら、その企業はそこに立地できているからこそビジネスが出来ているのです。言い換えるならその地域の人が受け入れてくれているからこそのビジネスです。もし「そんなウゼーこという地域なんか会社ごとでてってやる」なんて真剣に考えているようでしたら、多分、現代社会において世界中、立地可能な場所は遠からずなくなるでしょう。
もしそのように考えていなくても、不幸なことに人が集まる施設なり企業なりが出来れば、そこでの治安や交通事故の不安を訴えたり実際の事故の責務はその企業のせいであると考える地域の方々がいることも現実です。
であれば、具体的に地域の方々の不安やリスクをしっかり具体的に取り除くように、地域活動は設計すべきです。
たとえばこんな設計はいかがでしょう。
まず、犯罪にせよ交通事故にせよ観測者を広く配置することによって、減少することは比較的知られています。人の目がない状態がそういうリスクを高めます。裏を返せば薄く広く、人の目を配置することが出来ればいいということになります。たとえば守るべき対象を子どもたちに絞りましょう。
そういう観点ですと、朝夕の通学路見回りに関しては、スクールガードなどかなりしっかり設計された活動として機能していますので、その日時はむしろ業務に専念していただければよろしいかと思います。
子どもがウロウロしていて、大人の目が希薄な時間帯や日にちはいつかというと、放課後や夜間、土日や長期休暇ということになります。土日、夜間は業務との兼ね合い的にも社員の拘束として現実的ではない(むしろ、社員の皆さんの住む地域への貢献こそ考えるべき時間)ので、長期休暇中の交通安全や治安向上を狙うのは良いのではないかと思います。
で、場所も限られたエリアの集中配備ではなく、配置できる人員で最大エリアの目線が確保できる効率的配置を計算して、各交差点に配置するのです。犯罪者と戦うのではなく、犯罪者を犯罪者にしないための目線の配置が目的です。ですので、各個撃破の心配ではなく偵察における目線の空白を心配することの方に重きを置くのです。当然配置時間も、わりと期間中はランダムで、神出鬼没なのがよりいいとおもいます。
あと、こまめに子どもに声かけを忘れずに。長期休暇中であれば非行化の防止にも一役買えます。
変な話ですが、いつも企業の交通安全運動を見ていて思うのは、「会社の周辺」で、「かなりたくさんの人間」が、「肩触れ合う距離」で、「密集して挨拶」している、という実に犯罪防止にも交通安全の向上にもつながらない非効率で成果の上がらない活動をしていることの不思議があるわけです。お金になるのかどうかは置いておいても、企業人なら成果にこだわりましょうよ。ってのがわりと本音だったりします。はい。