情報化って?~住民ディレクターを通じて~

2003年も師走。で、人生最南端到達。福岡から特急に乗って、かっぱの町、八代に到着しホームで弁当の駅売りをしているちょっと怖目のかっぱに扮した駅弁売りのおじさんを眺めながら乗換。
あとは、どこまで行っても田舎。ビジネスの喧燥を忘れてのんびりしたくなる風景だ。
その終着駅到着。そこが目的地の人吉市だ。
で、そんな田舎に何しに来たのかといえば、元祖地域情報化を見るためだ。

IT業界の仕事に入って以来、ずっと地域情報化に関わって各地を取材してきた。しかし、東京において高く評価されている事例を見れば見るほど、理由は分からないがすごい違和感を感じてきた。で、2000年のそんなある日、とある講演でパネラーで一緒になった、有限会社プリズム社長の岸本氏が中心となって行われている地域情報化の事例を聞いた時、「これだ!」と思った。その活動が、九州熊本にある人吉球磨地方の「住民ディレクター」なのだ。

■私が地域情報化を切る原点

実は、岸本さんにであってこの活動を紹介してもらうまで、地域情報化というのは地域の情報インフラを整え、地域住民が新しい双方向メディアに馴染むことこそが地域情報化だとばかり思ってきていた。インターネットの普及による新しいメディアの到来を感じていた私には、それ以外の地域情報化という視点はあまりなかった。しかし、これは「情報化」ではなく「情報化されたものの流通手法の変化」に過ぎないものだということに気がつき、自分の違和感が払拭されたのを良く覚えている。

3年の越しの想い人ではないが、ようやくスケジュールも合い、心躍らせての訪問となった。

人吉球磨の「住民ディレクターによる地域情報化」は、1992年の山江村を発祥とし、地道に人材を増やしながら、現在はそのエリア全域での活動となってきている。活動のポイントは何かといえば、住民がディレクターとなりTV番組を作る事。文字どおり「住民ディレクター」なのだ。その上で、制作した番組を地元のCATV、地元の地上波、地元のCSチャンネルなどに供給して放映し、加えてインターネットでも動画の放送を始めた。

この活動が、私にとって元祖地域情報化と呼べるものであるのかというと、情報化というのは現実の「人、こと、もの」を、情報というものに変換して流通可能な状態にするということだ。で、例えば、TVのディレクターというのはそれを商売としていて、色々な「人、こと、もの」を情報に変えて流して飯を食っている。
そういう意味では情報化を商売とする人々は昔からいたのであるが、「地域」での情報化の本質はどこにあるのだろうか?

■地域情報化の本来の意味

地域の情報化なのだから

・地域の「人、こと、もの」を情報に変化させる。

のは大前提なのだが、次は意見が分かれることになるだろう

・地域の「人、こと、もの」を
 「外の目で客観的な価値基準に基づいて」情報に変化させる。

・地域の「人、こと、もの」を
 「地域人の主観的な価値基準に基づいて」情報に変化させる。

両方の情報化が行われていることは重要であることは明白だとおもう。
前者については、地方放送局や雑誌社、新聞社などがそういう意味での情報への変換は行なっており、特に今更、どうこうするべきものではないかもしれない。その部分の情報については、「情報化されたものの流通手法の変化」としてのインターネットなどによる情報インフラの整備は、色々な意味やインパクトを持つといえよう。

しかしながら、後者の観点の情報化はどうであろうか?
実は、これについては行われているようで、それ程行われてはいないというのが、実感である。地域ミニコミ誌など、じわじわではあるが、地域の「人、こと、もの」の情報への変換は行なわれているものの、他方で「見るに耐えない」情報が多いのも事実である。情報への変換が一人よがりであったり、基本的な手法を抑えていないからというのも現実である。

前者の情報化はプロ化した人が行なうため、このような問題点はないものの、後者のような「地域の主観(地域の価値観に基づき相対化された視点)」な視点はなく、ある意味で地域の外の人のための地域情報になりがちである。
人吉球磨地方の住民ディレクターは、「地域情報化」という観点で考えると、その最大の価値は後者の意味での地域情報化であるという価値に他ならないのだ。

■住民ディレクターの価値

たしかに「他地域と地域情報化の取り組みを比較するという観点」で考えれば、上記のような見方になる。人吉球磨という地域そのものから見ると、住民ディレクターとその活動が持つ意味合いは必ずしもそうではない。

実は、最もポイントとなるのはこの活動において、共有されていなかった番組を通じて二つのものが共有されることだ。

・番組を作るプロセスの共有
・番組を通じた情報の共有

どの関係者も「住民ディレクターは番組制作のディレクターではなく地域作りのディレクターなのだ」ということ異口同音で述べている。実は番組を制作するプロセスと、地域づくりやまちづくりのプロセスは非常に似ているのである。
構想力、リサーチ力、構成力、広報力、リーダーシップの5つの力が、どちらの活動にも必須なのだ。こうした力を番組の制作プロセスを地域住民に体験させ、地域作りの人材を育成するというところが狙いなのだ。
いわば、地域においてプロセスの共有をすることで、いざという時に一人でも多くの有為の人材を確保することができるのである。

そして、力をつけるだけなら、おそらくは他の手法もあるであろうが、より強い地域を作ることを考えた時に、共通の地域への理解は非常に重要である。地域の人々が自分達の手で作った番組を通じて情報を共有することで、東京や大都市を中心とした価値観で相対化された情報ではなく、「地域の主観(地域の価値観に基づき相対化された視点)」に基づいた、地域の生きた情報共有がなされるのである。
この共有情報をもとに、有機的に連動したまちづくりを行なう事が可能になるのである。

■地域情報化と地域

プロセス共有を通じて、行なわれる活動はさらに視点を付加していき、「かちゃり(≒語り)バンク」という、人材育成活動へと流れていっている。地域情報化を通じて得られるものをシッカリと考えて、ストレートに活動に取り組んだ結果が人吉球磨の成功を生んだといっても過言ではないだろう。

実際の番組収録の風景を山江村までお邪魔をして、拝見させて頂いた。私も短い間とはいえ元TVディレクターである。素人のお手並み拝見、と気楽に見に行った。が、そこいらの地方局でのプロが行なう番組作りと水準は全く変わらない非常に優れたものであった。正直いって驚愕した。その収録の後、地元自慢の球磨焼酎を楽しみながら、現在の悩みを、住民ディレクター0号で、元祖住民ディレクター活動エリアの山江村の村長の内山氏に話を聞いた。すると「情報化した情報は一杯あるけど、流すインフラが無いんですよね。実は地元住民は自分で作った番組を見れないの(笑)」と、軽く地元エリアにCATVやらブロードバンドインフラの無い現状をのべていた。情報の共有プロセスは、実は、一部地域にかぎられている側面もあるのだ。

この内山村長の発言を読んで、「うちのエリアはブロードバンドが来たぞ」とか、「助成金をうまく持ってきてCATVがあるぞ」とか「やっぱりインフラが一番大事なのだ」などと威張る御仁に問いたい。「で、あなたのエリアでは、まちづくりの人材を何人生み出しましたか?そして、あなた方のコンテンツをどれだけの人が感動を持ってみますか?」と。
さらに、そうしたインフラ活動を高く評価する、役人や評論家にも問いたい。「地域情報なき地域情報インフラに何の意味があるのですか」と。むりやりIP情報インフラを導入して、得をするのは結局ITゼネコンなんていうおかしなODA的な構造に付き合うぐらいなら、IPインフラなき地域情報化のほうが、地域とそこに住む人々にとってはよっぽど素晴らしいのではないだろうか。
地域情報化を推進される立場の方、評論する立場の方には、ぜひご一考頂きたいものだ。

帰途につき、車窓から見える小雪の舞う人吉球磨エリアの風景を眺めながら、こんな事を考えさせられた一泊二日の短い取材を終えた。