そろそろ子育て論に性差を持ち出すのをやめませんか?

ここのところ、よく子育てにまつわるお話を聞きに行ったり議論をしたりしに行くんだけど、この男女共同参画の世で、いまだに、母親だから云々、父親だから云々というはなしを、識者であるような方を含め、多くの人がいまだにする。
確かに、出産とか授乳そういう特殊な事象はそりゃ性差だろうけど、子育てでやるべきことに性差は無いと思う。どっちでもいいから、やれるほうが普通にやるべきだ。子育てにおける母親の役割とかそういう、性差の亡霊をいまだに崇拝するから、いつまでたっても、子育てで女性ばかりが損をするという下らない話になっているとしか思えない。

たしかに、いまだに、職場において女性の役割なんていうのをいまだに言う人間も若干はいるけれど、そういう人間は既にマイノリティだ。仕事に性差は無い。ただスキルと嗜好と適性があるだけだ。
子育てにおいても、物理的に性差に起因する作業(僕は授乳と出産以外ないと思うが)以外は、男女共にすることは出来る。この期に及んで、家での女性の役割などという寝ぼけたたわごとは、どこかになくなってほしい。

たぶん、今最も重要なのは、子育てを含む家事から性差の亡霊を放逐することだ。家庭をつかさどる事業を普通に列挙して、普通に役割分担をして、普通に実施すればいい。どれが大変だと威張るのではなく、外からお金を稼いでくるという業務と同様に、普通に毎日それらを分担すればいい。
あとは大切なのは、人として、個々の作業や業務をやってくれる相手への感謝の念。それをお互いもってやるべきだ。それこそが、家庭での男女共同参画の図だ。おかしな、似非科学での性差で、したり顔で、あれが女性の特性だからあの作業は女向けとか、これが男の特性だから男向けとかやるべきではない。個々の夫婦が得意なこと、やるべきことをおかしな統計学に惑わされずに相互に把握して分業するだけのことだ。

男性らしさ、女性らしさも結構だが、職場と家庭と地域の中ではそれにこだわるべきではない。また、アンチ女性らしさ、アンチ男性らしさもよろしくはない。ただ、自分らしさこそを正しく売りにすべきだ。