言葉症

世間で、花粉に過敏に反応して、色々とアレルギーを引き起こすのは「花粉症」という。それと同じように、他人の言葉に過剰に反応して、心身の平衡が簡単に崩れるのは「言葉症」とでも呼べるんじゃないんだろうか。自分は、この「言葉症」かなとか最近良く思う。

いや、自分がボキャブラリーが多いとか、文章力があるとか、ましてや感受性が強いとかそういう意味ではない。

今朝も、思わず夫婦喧嘩してしまったわけだが、その原因は家内の物言いが気にかかってしまったため。内容的には、上の子が、朝ぐずぐずして、集合時間に遅刻しそうになってしまたので、家内が怒ったというもの。なので、遅刻しないのは大事なので、怒ってでも教えることは大事な親の仕事である。なので、旦那に横から怒られて食って掛かられる覚えはないというものだ。だが、やはり、その物言いが矛盾をしていたり、言行一致してない内容だったり、一貫性がなかったりすると、それが気になって怒ってしまう。当然感情的になって口走った部分なのだから、子供を躾るという点では本質的ではないので、見て見ぬふり(聞いて聞かぬふり)をすべきことなのだろうから、私が全面的に悪かったりもする。

先日の出張のときも「小さな連携より大きな融合」という言葉を聴いて、連携とはどんなもので、融合とはどういうことで、その全体の話の流れとしてその用語使用法はどうなんだ?とかをすぐに思い出して、悩みだしてとまらなくなるとか、そういうことをやらかしまくっている。ちなみに、連携とは手を携えて一つのことをやるということで、融合は溶け合って一つになるということ。産学官民が連携する(手を携えて一つの事業をやる)ってのは分かるけど、産学官民が大きく融合する(溶け合って一つになる)ってなんだ、とか思うわけだ。それは普通に考えれば一党独裁型の共産主義国家のことだろうとか思うわけだ。酒も入った席だし、言った本人はこんなことまで考えてはいないんだろうけど、やはり気になる。

とにもかくにも、くだらない言葉が何でもかんでも気になってしまう。自分に関する話題かどうかってのは関係ないので「自分に関して他人の言うことが気になる」という類の現象でもなかったりする。

正直言えば、仕事で物を書いたりするときは、このぐらいのほうが良いのかも。とか思うには思うんだけど、さすがにここまで病的に反応してしまうと、結構、日常生活がきつい。

花粉症は色々対策商品はあるけど、言葉症の対策商品はないのかねぇ....。