ハブの時代からターミナルの時代へ

ネットワーク理論の進展から、ハブというものの重要性がよく言われる。
いわゆるスーパーハブというのがあって、そういうものを経由すると3ステップで全ての情報や友人知人に到達できる、などなど、ハブの重要性が語られてきた。
そのハブの重要性を示してきたのが、Webという仕掛けだったように思う。ポータルやリンク集というものがもてはやされの、それの通行料ではないがそのハブへの情報の集約度こそが価値であり、その価値に応じて広告を取るなどビジネスモデルも作られてきていた。
が、同時に、ターミナルに行き着かない堂堂巡りのネットワーク構造、いわば空虚なネットワークといわれる部分が多数発生しているのも事実だ。例えばリンク集を辿って、リンク集から抜けられなくなってしまうという自体が普通に起こっている。まさに、空虚な情報の輪に閉じ込められてしまうのだ。
と同時に、価値のあるターミナルがほとんどなく、結局多数のハブから引用されているごく一部のターミナルと、スーパーハブを目指す多数のハブで、ネット社会が構成されつつある。
こうなってくると、ハブにはほとんど価値がなく、そのターミナルだけ場あればよいということになる。価値があるのハブではなく、多くのハブから引用されているターミナル、いわばスーパーターミナルが価値を持つことになる。
こうしたスーパーターミナルになるようなリアル活動が重要であり、こうした活動を情報化し流通させることを支援する技術はBLOG等、爆発的に増えている。

いままではリアルを伴わなくして情報流通をさせる時代であり、そこにおいてハブは大きな価値をもつが、これからの情報を作る時代においてハブの価値はほとんどなくターミナルにこそ価値が生まれてくるのである。