歴史小説

最近、ひたすら歴史小説を読むようになった。
いわば歴史を舞台にしたフィクションであるので、そこに歴史上の真実を求めるなんて読み方は当然していない。その昔は、そういうスタンスであるからこそ、そんな中途半端なフィクションなんか読まん。という姿勢で全然手付かずだった。

実は、結構、自他ともに認める多読家だったりするが、そこいらにあまたある歴史小説はほとんど手をつけていなかった。しいて言えば、せいぜい、平家物語とかいわゆる古典を読み下す程度。現代作家の書いた歴史小説なんて、非常に限られていたりする。

その私がここのところ、その毛嫌いしていた歴史小説以外読まないという不思議な状態である。きっかけは歴史調査から始まり、便利な時代考証のネタ程度だった。だけど、家内が会社からもらってきたりとか、友人知人が書評をつけて紹介してくれたりだとかするうちに、その多読化に拍車がかかって、いまや暇さえあればなんか読んでいるという状況。

正直言ってどれもこれも面白いと思う。歴史上の知識を得るという楽しみよりは、人物像と出会うという楽しみだ。実際にそれぞれの主人公が、歴史上そういう人物かどうだったかは、別問題。あくまで、歴史を舞台にした虚構のキャラクターとして、そういう人物像を伝え、生き方を伝えるというその歴史小説の面白さは、なるほどなぁと思う。と同時に、舞台を作る手間は省けて作家にとってはいいよなぁ、などと不届きなことも思う。

最近この手の本を読んでいて思ったことがひとつある。
人間大して変わらんなぁ
と。いや、歴史上の人物を見てというのではなく、これをガリガリ読んで面白がっている自分を再発見してそう思う。多分、僕が読んでいる続っぽい歴史小説の数々は、誰が読んでも面白いものだろう。今まで僕が多読したものを読んでいようがいまいが、実は日々の糧としてそんなに大きく変わるものじゃない。むしろ、こういう続っぽい歴史小説のほうが人の心を動かしたり、日常の生活への潤いや、やる気や、方向性を生み出して影響力があるような気がする。

そう思うと、どんなに努力をしても、人間そんなに変わらんなぁ。と。
ま、とはいえ、呉下の阿蒙なんて言葉もあるので、常に自己研鑽は重要。なので、歴史小説の多読を続ける(笑)