二つの門出に立ち会ってきました。

 この数日間で、やり取りした中で友人がメッセージに「二つの門出だね」と書いてきたので、そういう考え方もあるのかと。
 2015年4月24日、娘の高校入学式に出席しました。これが一つの門出。
 同日、夜、親友で盟友の通夜に参列しました。これがもう一つの門出。
 前者はしばらく会えないけど、再会を約束されている門出。後者は何があっても再会できないことが約束されている門出。
 この二つを同じ門出でくくってはいけないんだろうけど、人の生涯ってそういうものなんだろうなと。
 前者の方は、別のエントリでも書いてるし、また幾度も振り返る機会も修正したり努力したりする機会もあるから、やっぱり後者の門出の話をBLOGに。

 2015年4月22日、多くの経済人や大学人を繋ぎ、北海道の知力や経済力の地力を丁寧に下支えし活躍してきた、川下浩一さんが亡くなりました。

 いまでも、わりと短絡的な一発長打で北海道経済を何とかしようという浅はかな輩が目立つ中、彼は事実上ただ一人、北海道の経済に足りないものを冷静に分析し、その上で、その自己の分析に責任を持ち、万里の道をもものともせず北海道の隅々まで自分で駆け回り、繋ぎ、伝え、形にすることを繰り返してきました。東名阪とか海外の有名都市とか地力が根本的に違うのに、同じような浅はかなショック療法を行う愚を見抜いていたのです。

 彼と出会ったのは2002年でした。北海道事務所の経営もなんだか迷走していて、そういう一発長打が必要なわけじゃないんだよなぁとか思いながらも、ずるずると北海道での活動を続けていたころでした。そのころお手伝いしていた、経産省の事業でデジタルニューディールという電子掲示板的な産学でのディスカッションができるシステムの運営に携わっていました。たまたま、私が管理しているプラットフォームに当時雑誌記者をされていた川下さんが登録されていて、その雑誌名が懐かしくコンタクトを取ったのが始まりでした。

 コンタクトを取ってその数日後に、喫茶店で色々と語らって、先に述べているような疑問がたちまちに氷解。北海道での自分の立ち位置と進むべき方向性が決まりました。丁寧に事業をする人々を支えて、外とのネットワークを生かして、個々の経営者がしっかりと経営をするための環境を一緒に作ればいいんだと。道内のネットワークは川下さん、道外のネットワークは僕。その前提に立って、次々と道内の若手から大物まで優秀な経営者をご紹介いただきました。それにどこまで私の力量で答えることが出来ていたのか、今となっては反省することの方が多いです。

 北海道経済産業新聞という、北海道経済の為の情報プラットフォームを一緒に立ち上げたり、産学連携学会の立ち上げやら北海道大学の産学連携を一緒にやったり(この辺は、きっと荒磯先生が別途語るべき内容ですので書きません)、北海道こんぶ研究会を作ったり。彼がつないで形にした足跡は道外にもたくさんあります。これを全部列挙していては終わりがないんじゃないかと思います。言うなれば生涯という有限の時間で無限の足跡を残した人です。でも、もっと時間があれば、もっと稠密な無限の成果が出せたんじゃないかと。

 劉備と諸葛亮の水魚の交わりとはかような事だったんだなと、今になって気が付きます。そんな恰好のいい言葉を言いたいのではなく、いい歳したおっさんが言うのはなんだけど、一緒にいるのがただただ人生を楽しく豊かにしてくれる人でした。北海道の出張で会えば、延々と飲み語らい、北海道の問題を共有して、実施できるかどうかは別にしてソリューションを試行実験し、地方に巡業すればやっぱり不思議な事態を見い出しては地域性を論じ、北海道を隅から隅まで周り分析をした日々が懐かしいです。会う予定が無くても、日本中をウロウロしながら、面白いエピソードを見つけては、「よし、次回の飲むときの肴にするぞ」とため込んで、また出張で会うとのみ語らう。
 ああいう日々がもうないんだなぁと思うとさびしい限りです。このわずか数日でさえ面白い事態を見つけるたびに、なんか、面白い事態を貯め込んでも、ああ、打てば響くように分析し価値を抽出してくれる友が居なくなったんだなぁと、本当に寂寥感が時間とともに膨らんできます。

 それにしても、なんで彼ばかりが身を削って戦わなきゃいけなかったんだ。財力だって時間だってもっと余っていて、人脈もあるぞって威張り散らかしているような輩ばかり幅を利かせやがる。威張り散らかす暇があるなら、元気なころの彼くらいの勢いで全道をしっかりまわって、一つでも形にしてきやがれってんだ。その口先の栄光が嘘じゃないなら、もっとましな経済力のある土地になってるだろうが。時間も収入も制度においても安全地帯にいて、何もしない無駄飯食いが北海道の社会に多すぎる。
 本当は、こんな私情を書きたかったんじゃないんだよな。でも、彼の死と社会的インパクトは皆、特に道民は自覚した方がいい。だから本当はBLOGにはそういう固い事を書きたかったんだけど。でも、そういう事よりまず真っ先に彼の死を普通の一友人として悲しんでいるがゆえに、こんな天上の川下さんが見たら笑うような文章書いちまったんだよ。多分。こうしないと、きっと次の冷静な文章を書けないんだよ。天上から幾らでも添削でも没でもいって下さいよ。

 畜生。死人に口なしだ。彼は永久の門出しちまったんだから。