コペンハーゲン解釈

実は、「これがコペンハーゲン解釈」と言うものが、必ずしも、明快に 存在しているわけではない。あくまで、量子力学の巨星、ニールス・ボーアの 所属する研究室のある、コペンハーゲンの地名を取ってそう呼ぶ。
よって、当然ながら、ニールス・ボーアの解釈が、コペンハーゲン解釈の 基礎となっていると言っても間違いはないだろう。

この解釈のキーとなるのは、やはり、かの有名な「相補性」であり、また、さらに、 測定していない物理量について議論する事は意味がないという態度にあろう。

ニールス・ボーアの活躍した量子力学の黎明期において、光の本性が 粒子なのか波動なのか?という事、さらには、位置と運動量の 両者を確定しうるか?という事は、大きな問題であった。
その解決の手段として、ボーアが提起したのが「相補性」である。 そして、「観測器と切り離せない対象」という考え方である。

たとえば、位置を測定するセッティングにおいて、われわれが得るものは

位置を測定するプロセスにおいて、
かくかくしかじかの値を得る。

という一連の現象であり、われわれが知りうるのは、あくまでも位置であって 運動量の事は一切議論し得ないのである。
同じく、運動量を測定するセッティングにおいて、われわれが得るものは

運動量を測定するプロセスにおいて、
かくかくしかじかの値を得る。

という一連の現象であり、われわれが知りうるのは、あくまでも運動量であって 位置の事は一切議論し得ないのである。
あくまでも、われわれが得る事が出来るのは、どちらかの値だけであって決して両方を得る事は無いのである。

そして、測定器が無いときの対象のそれぞれの値を議論する事は 意味が無いのである。あくまでも、物理量とは、その物理量を測定する測定器があってはじめて成立するのである。
そうでない物理量は、その対象には付与されないのである。

当然これはわれわれの直感に大きく反する。
それが、アインシュタインらとの大きな論争を生み、また、現代においても ボームらなどの新たな解釈を呼び起こしている。

また、この解釈が量子力学の覇者とも言われるが、実際にここまで厳密に「測定しないものはない」というスタンスで、現場の科学者が量子力学を解釈し使っているとも思えない。量子科学の世界では常識的なLCAO法やフロンティア理論などでの、波動関数の取り扱いを見ると、それは明らかである。
そうすると、本当の、覇者とも言える量子力学解釈は何なのだろうか?