準微視的エンティティーは存在するか?

科学者でない人は電子や遺伝子や他の科学者が語るエンティティーが
存在するものとして考えるべきかどうかがわからるのだろうかと悩む。
科学者自身も、この問題に対して彼らがどのような立場にあるかを
言うことは困難である。
ある人は次のように主張したい。
それらのものすべては、現実のもので、
テーブルや椅子やバスと同じような意味で存在している。
しかし他の人はそのような人々には困惑を感じる。
そしてそこまで進むことはためらう。
電気的現象の研究から電子の存在を確立することと、
砂漠のなかのくぼみから未開人の存在を推論することと、
患者の兆候や症状から盲腸炎の存在を推論することに、
違いがあることに彼らは気が付いている。
電子という言葉を用いて電磁気について語るのは、
患者が説明できない熱がある時に原因不明の発熱を述べるのに少し似ている。
しかし、電子の理論はあるやり方で電気的現象を説明できる。
そのやり方では、
発熱のような専門用語に単に翻訳しただけでは、病人の熱を説明できない。
そして我々はおそらくは次のように尋ねるだろう。
結局電子が実際には存在しないのなら、
どのようにして電子の理論は働くのだろうか?


このやり方で述べると問題は混乱してしまう。
それゆえ、もう少し注意深く問題を吟味しましょう。
ロビンソンクルーソーの発見と、物理学者の発見を比べる時
その違いは発見の種類だけではない。
どちらの事例で存在を述べることも多くのシフトを含んでいる。
そして、あまりにもすばやく、その用語の一つの使い方から
もう一つの使い方へと移ってしまうので、
我々は不必要に問題を難しくしている。


ものが存在するということについて我々が語る時、
いかなる違った考えを心に抱いているかを考えなければならない。
もし、ドードーが存在するかどうかを、すなわち
今日何処にもドードーが住んでないのかどうかを尋ねるとき、
我々がその種が、生き残っているのか絶滅したのかを尋ねている。
しかし、電子が存在するかどうかを尋ねる時、
我々は、電子が絶滅する可能性などは全く思いもよらない。
この問いをいかなる意味で尋ねたとしても、
その場合においては、
「存在する」ということは「もはや存在しない」
ということの対比ではない。
では再び、ルリタニアは存在するかを尋ねるとき、すなわち、
ルリタニアのような国が存在するかどうかを尋ねる時、
我々は、実際に、ルリタニアのような国が存在するかどうかを尋ね、
それは創造上のものかどうかを尋ねている。
そしてそれは存在しない。
しかし、我々は、電子がなじみのあるものの事例か存在しないものかを
尋ねることに関心はない。
我々の「存在する」という用語の使い方は、
「存在しない」ということをそれと対比させるやり方ではない。
Man Fridayからドードーへと移るとき、また、それらからルリタニアへ、
さらに電子へと移るとき、
それらの場面の性質をもった変化はそれと共に他の変化をもたらす。
とくに、「存在する」という語を含む文はそのやり方で理解されなければならない。


そうすると、「電子は存在するのか?」というのはどうなるだろう。
これはどのように理解されるべきなのだろうか?
ドードーやルリタニアよりよい類似の例は、次の問いに見いだされる。
「輪郭線(等高線)は存在するか?」
赤道は地球の中心のまわりに引いた想像上の線だということを読んだこどもは、
等高線や経度線やその外の線もそうだといって指摘する。
それらの線は地図上に、町や山や川に沿ってあらわれる。
こどもはそれらが存在してるかどうか聞く。
どのように答えるべきか?
「等高線は存在するか?」という大雑把な表現の問いをするなら、
即答することは不可能だろう。
この問いに対する唯一の答えは「yesかつno」だ。
それらはたしかに存在する。けれども存在するのか?
それはあなたの話し方によってくる。
そうすると、問いを注意深く言い換えるだろう。
「同じ高さのところに実際に線が引いてあるのか?」
そして再び答えは「yesかつno」だ。
なぜなら、線はある。しかし、それはあなたが線と読んでいるであろうものではない。
実際の質問が次のようなものであるということがはっきりするまで、
こういったすれ違いの問答がつづくだろう。
「テニスコート上の白線のような何か目に見える地形上の等高線が存在するか?
それとも、実際には何の対応物もない、
cartograghicalの道具(たぶん表記法のこと)でしかないのか?」
これが唯一のあいまいではないやり方で提出された問いだろう。
こどももが等高線が存在するのかとたづねるときの「存在する」の意味は、
存在するが、もはや存在しないとか現存しないということの対比ではなく、
単にフィクションであるということの対比であるときの意味だ。


このことは、「存在する」という語が原子や遺伝子や電子や場や
その外の物理科学におけるエンティティーに使われるときの意味である。
「それらが存在するのか?」という問いは、実際に次のようなものである。
それらを示すなにかが存在するのか、それらは理論上のフィクションでしかないのか?
現場の物理学者に対して、ニュートリノは存在するのか?という問いは、
ニュートリノをそれを目に見えるようにすることによって生み出すための
招待状として作用する。
もしこのことを為すなら、ニュートリノという語をしめすなにかを持つだろう。
それをすることの困難さは、その問題の固有の困難さを説明するものである。
なぜなら、我々が準微視的エンティティーの存在をについて問う時のみ、
その問題が明確にあらわれるからだ。
準微視的エンティティーとは普通の基準では目に見えないものである。
必然的に、ニュートリノを生み出すことは、
ドードーや9フィートの男を生みだすより洗練されたビジネスでなければならない。
我々の問題はそれにしたがって、ニュートリノや遺伝子を生み出すこととして
見做されることを決定するために必要なことによって複雑にされている。
いかなる種類のものが見做されるのかは明らかではない。
しかしながらあるものは、科学者によって、一般に、
受け入れることができるものとして見做されている。
たとえば、霧箱中のα線の軌跡や、電子顕微鏡写真、次善のものとして、
ガイガー管のクリック音。
彼らはそれらのような際立った証明を、
(関連するエンティティーの存在する証拠と見做すこと)
芝生のうえに生きるドードーを示すのに十分似ているものと見做す。
たしかに、もしそれらを不十分であると拒否したなら、
我々が合理的に尋ねるべきことを見いだすのが困難になる。
存在するという語はそのようなものに対するすべての適応を持つべきであるなら、
これはそれであってはいけないのか?


そのような証明が可能でないなら、どうなるのだろう?
ニュートリノが存在するということを目に見えるように示せないのなら、
そのことは、必然的にそれら(たぶんニュートリノのこと)の終わりではないのか?
そんなことはない。
好まれる型の証明ができないときに起こることに気が付くことは価値がある。
なぜなら、そのとき、電子や遺伝子の存在を語ることと、
ドードーやユニコーンの存在を語ることの違いが非常に重要になるからだ。
たとえばもし、わたしがユニコーンや9フィートの男についてもっともらしく語り、
それらを示すものをもっていなかったり、
その標本をどのような環境下で見られるかを言うことができなかったりしたなら、
次のような結論が合理的だろう。
9フィートの男は想像上の産物であり、ユニコーンは神話のなかの生きものである。
どちらの場合もわたしが述べたものは存在しなかったものだと考えられるし、
すなわち、信用できないことで、そんなことはなかったと考えられる。
しかし、原子や遺伝子の場合は少し違う。
「これだ!」と指摘することができる環境を記述したり、
持ち出したりすることができないからといって、
ユニコーンの場合と同じように、それらを信用しないといううふうに扱う必要はない。


存在することをしめせない理論的エンティティーすべてが、
存在しないもの(non-existent)として主張される必要はない
それらにとって中道が存在する。
たしかに、写真や他の証明が与えられるまで、
理論的なエンティティーが存在すると主張するのはためらうべきである。
しかし、そのような証明が与えられないだろうと信じる理由をもっていたとしても、
そのエンティティーが存在しない(non-existent)というの行きすぎである。
なぜなら、この結論は、豊富な説明上の概念として疑う必要のなかったものまで
信用しないという印象を与える。
そうすることは、地面の目に見える印がないからという理由で、
等高線の考え方を取ることを拒否するのに似ている。
その考え方が捨て去られなければならないという結論は、
フロギストンや熱素、エーテルのように、
すべての説明の豊富さを失ったときにのみ正当化される。
もし科学者が、それらの説明において、存在することが示されるであろう
エンティティーのみを参照しているのであれば、
疑いなく彼らは幸せであろう。
しかし、科学の発展の多くの段階で、
それほど厳密のこの条件を主張する事は出来ないだろう。
科学理論は、それにおいて現れるエンティティーが
実際に存在するかという問いが提出されるより先に、
しばしば受け入れられ、長い間活躍し、さらに長い期間で進歩していくだろう。
科学の歴史はこれに関する顕著な例を与える。
十九世紀において、理論物理と化学は原子や分子の概念に関して発展してきた。
一つは物質の運動論。それの物理学への寄与は、壮大なものであった。
もう一つは、化学結合と化学反応の理論。それは化学を精密科学へと変えた。
どちらもそれらの概念(分子、原子)を用いており、
それらを用いることなく説明することは不可能である。
1905年になると、アインシュタインによって、
ブラウン運動の現象が原子や分子の存在を証明するものとみなされることが
しめされた。
そして、それまでは、ノーベル賞授賞者のオストワルドでさえ、
原子の存在については懐疑的であった。
(化学者として働いている彼にとっては、それらの概念は必要不可欠なのだが。)
さらに1905ねんには、原子論が、物理学の究極の到達点ではなくなった。
その基礎のあるものは攻撃され、ボーアやトムソンの仕事は、
物質の構成についての物理学者全体の描像を変えるきっかけになった。
そうすると逆説的に、
偉大な科学者が、
原子の概念がフィクション以上のものではないとみなしたときに、
原子論の主要な勝利は達成される。
ということを見出すだろう。
そして、古典原子論が物質の構成の基本描像としての立場を失いはじめたときに
原子は明確に存在することが示される。


あきらかに、そうすると、理論上のエンティティーの存在や実在についての問いを
描像の中心に据えるのは行きすぎた誤りであろう。
理論を受け入れるときに、科学者は、どちらのやり方でも、
それらの質問から初めたり、それらに答えたりする必要はない。
Knealeが示唆したように、
理論を表現するのに用いられる全てのものの存在を信じるということに、
それによっては、コミットしない。
これを仮定するということは、マンフライデーの様々なあやまりである。
実際に、理論の中で述べられているエンティティーが存在するかどうかの問いは、
理論がある受け入れられた立場を持つまで、
意味を与えることが出来ないようなものである。
状況はむしろ次のようのものであろう。
動いている光の概念との結びつきで我々が出会うものだ。
光は動いていると語る物理学者がそれが動いているということについての
何らかの仮定をしていると、
仮定することは自然に思える。
調べてみると、そうではないことが分かる。
それが動いているということは何かという問いは
その概念を用いて説明している現象を超えることなく
それを問う事はできない。
同様に、科学者が、目新しい概念を導入している新しい理論を受け入れる時、
その理論を表現するのに用いられるものが存在するという信念に
コミットさせられていると仮定するのが自然に思えるだろう。
しかし再び、例えば、遺伝子が実際に存在するかどうかという問いは、
遺伝子によって説明される現象を超えた所にある。
科学者にとって、彼の理論のエンティティーの実際の存在は、
単なる理論的虚構であるものに対比させられる。
はじめに説明することに成功したという事実は、
存在に対する問いに対しては開かれたままである。(まだ解かれていない)


このマンフライデーの形とは逆のものも存在する。
理論に含まれているエンティティーの存在についての視覚的な証明が
生み出されるよりはるか以前に、
理論が受け入れられるであろうことを考えると、
桐箱の写真のようなものは、むしろ過大評価であると
結論付けたくなる。
実際に、それらは、物理学者が幻覚の結果として述べているものを
我々にもたらしていると結論付けたくなる。
Knealeは、霧箱から得られた結果や、その外の物理実験の結果によって
物理の理論が成立することも棄却されることもないということに基づいて、
その結論に進んだ。
しかし、これは全く違う二つの問いを混同している。
理論の受容可能性の問いと理論のエンティティーの実在の問いだ。
切り箱の写真を電子やα線の実際の存在を示すものとしてみなすことは、
原子構造の現在の理論を受け入れる為の基礎の中にある
優先的身分を、切り箱に与えることを意味する必要はない。
切り箱が開発されるより前に、
それらの理論は受け入れられ発展していた。
それにもかかわらず、切り箱は、
原子核、電子、α線やその外のものがどの程度実際のものとして考えられるか
ということを、顕著なやり方で示している。
いわは、説明上の虚構以上のものとしてである。