Patric Suppes
NelsonとSimonについての私の注目点は、彼等の書いていることを
読んだり学んだりすることによって生み出される疑問について
彼等が言っていることの批評というほどの物ではなく、
ちょっとした方向付けである。
私の疑問は本質的なことであると言うことを強調したい。
それらは、複雑系の本性についての明確ではっきりとした見方を
位置付けるレトリックなデバイスではない。
私の注目点を7つの項目にして述べて行きたい。
1.ファジーの概念
このシンポジウムのオフィシャルなタイトルが「複雑なファジー系」
であるに関わらず、NelsonとSimonは系が単に複雑系ではなく
複雑なファジー系であると述べることが意味することについて、
全く時間を費やさなかった。
おそらく、シンポジウムの主催者は、Zadehによって導入された
ファジーの概念を考えているのだろう。
Zadehや他の人々によって書かれた多くの物を私は好むが、
このシンポジウムでは、NelsonとSimonが暗黙的に避けるという姿勢を
理解は出来る。
ファジー性の飾り付けを加えなくても、複雑性を取り扱うと言うのは
充分に困難な問題である。
論文の最終稿で、Nelsonは、ファジー性についての一般的な注目点を
たくさん付加したが、発展した広範な技術的やりくちを用いなかった。
私が思うに、こうするのは正解だろう。複雑性の理論は、
まだ余りにも原始的で、ファジー概念の記述に現在広く使われている
技術的なやり口を加えることは出来ない。
2.複雑性と衝突
Nelsonは、複雑系の特徴として、目的の衝突を含むべきだと強調した。
Simonの言うことと私の直感がこの点で対立していることを見出した。
彼の論文で初めにSimonによって与えられた特徴では、衝突を要求しない。
そして、彼の論文で彼が与えたたくさんの例が、指向的な作用者間、
もしくは、与えられた作用者の目的間の衝突を要求していない。
私は、衝突を多くの複雑系の重要な要素として焦点を当てるNelsonに
同意しているが、明確な複雑系の問題が必要条件として衝突を含むこと
について主張することを困難にしている。注目点の次のパラグラフは、
複雑性の多くの違った現代の概念のもとで複雑性を示すが、
衝突のいかなる側面も示さない事例を含む。それをランダム現象をさしている。
3.複雑性と乱雑さ
系列の複雑性についてのここ十数年のたくさんの文献や、
乱雑さの、新しくてより使える概念を与える試みをしている
文献において、驚くべきことに、どの論文のなかにも、
乱雑な現象と複雑系についての関連に関するいかなるコメントも
見出せないのだ。
暗示的に、階層と、その階層によって導入される、単純さに
ついてのSimonの注目点は乱雑さと複雑性を密接に結びつける
事例になっている。
それはちょうど、実際に、最大の乱雑さ、すなわち、最大の複雑性を示す
いかなる階層構造をも持たない系列である。
おそらく、衝突を含むものとして複雑系を特徴付けるNelsonの考え方に反対する
複雑系の最も良い例は、最大の乱雑さを含む系だ。
複雑性や乱雑さについてなされた仕事は、近年、複雑性の問題についての
より深い概念的な攻撃であるという、私自身の見方を提示したい。
この文献の詳細な議論の不在であるということへの驚きを誘発している
この信念がそれである。
4.幾何学的複雑性
私は、Simonの力学の歴史からの事例が気に入っていて、階層について
彼が述べるべきことのほとんどに同意している。
しかし、ケプラーやニュートンがそうされたようなやり方で、今の時代において
我々の大半が、幸運の女神に微笑まれることはないと考える。
もし、圧倒的なものでないなら、幾何学的複雑性、もしくは他のやり方で
空間的配置の複雑性が直感的に本質的に見える中に、たくさんの問題がある。
顕著な現代の事例は、4色推論(four-color conjecture)証明するために取られる
力学の明らかな複雑性である。
幾何学的複雑性の歴史的な事例として、ケプラーとニュートンのSimonの例を
採用しよう。
伝統的に、1685年にニュートンが厳密な形式で一様な質量をもつ球体の
重力相互作用は、その中心に位置する点のそれと同じであることを示すという
難問を解いた。
今では、単純な事例だが、連続性と対象性と、そして、幾何学的複雑性を
すでに考慮して描かれている。
我々は、対象性の単純な原理からより複雑で微妙な配置への移動のように、
そして、系の空間的配置の本性と複雑性を結びつける複雑系についての
直感の重要な部分であるような幾何学的配置についてのより良い直感を持っている。
大きくて困難な幾何学的複雑系の主題を導入することによって、
シンポジウムの領域で、それらの問題が、NelsonとSimonによって、扱われるべきだった
とは私は言ってはいない。
私は単に、複雑性の複数の違った概念を生み出そうとここ見ているに過ぎない。
その概念は、たやすく同定できて、現在利用できる複雑性の一様な理論を持つことから
離れていくということを示唆している。
5.複雑世界の単純なモデル。
NelsonもSimonも、与えられたモデルや現実世界の荒れ狂うカオス自体の中に
打ち立てられた概念の固定された集合の中に反映されているような
世界のモデルの間の区別を作った。
この区別は本質的に、明確な形で描かれるように思える。
私達は、我々は世界の明示的なモデルに対する複雑性の
考え方しか持つことは出来ず、実在それ自身や、それの
より小さな部分についての複雑性の考え方は持つ事は出来ない。
だから、同じ時間空間的領域を占めてるが複雑性が大きく違う世界の
モデルによって二つの違った理論が満たされるということを
認識することは重要なことのように思える。
通常のやり方では、私が言いつづけていることは、複雑性というのは
常に与えられた理論のモデルの特徴であるということだ。
そして、この相対化というのは不可避なことのように思える。
6.理論的複雑性の還元
Simonによって導入された区分や事例において、明示的なやり方では
捉えることが出来ない(おそらくはNelsonのアプローチでは関係のない)
複雑性についての別の意味は、明示的な定義の導入と補助概念を用いて
理論、もしくは理論のモデルの複雑性における還元である。
よく知られている単純な例は、新しい概念の明示的な定義の導入によって
公理的集合論のような数学の系統だった基本的発達における式の複雑性である。
もし集合論が集合の要素についてのただ一つの原始的概念を用いて書かれるなら、
集合論のより進化した公理を含む事は出来ないということは公平であろう。
明示的定義の導入で得られた複雑性の還元を測定するいくつかの手法が存在する。
得られるものはいかなる高度に系統立てられた理論においても実質的なものであるので、
明示的な定義の使用による複雑性の還元は、複雑性の様々な測定の下で、
堅牢で明確であるというのは明らかだ。
単純化の証明は、式の単純化に密接に結びついている。
最も良い例のいくつかは、おそらくは数論において見出される。
証明の複雑性の還元のための明示的な定義の導入は、いくつかの論文で
Kreiselによって強調されている。
7.複雑性概念の多様性
私がすでに述べてはいるが、次のことを強調して終わりにしたい。
複雑性の違った概念に、いくつかの良く知られている類似点があったとしても、
それらは、兄弟ではなく又従兄弟くらいでしかない。
複雑系の概念の種類(generic)についての考えは、独立の概念の種類のそれに
似ているように見える。
ちょうど、私達が独立についてそうするように、複雑性についての強くて剥き出しの
直感的考えをもっている。
我々は独立についての違った考え方を発展させていくにつれ、しかしながら、
それらの間には密接な関係はないということを見出した。
たとえば、論理的独立と状態的独立は違った形式的特徴をもつ。
さらに、複雑性の分析は独立の分析よりさらに悪い状態にある。
独立の概念についていくつかの同意が存在し、実際に、その二つは他方と同様に
ちょうど言及した。たとえば、線形独立の一般概念。
複雑性の理論において比較できる発展はまだない。結果として、
いかなる深みの一般的理論も、まだ見えてきていない。