僕らは何を見ているんだろう。

科学の基本は客観的な 実験と観察にある。 と教わることが多いと思う。確かにどんな理論科学者だって、 実験結果と理論があってないからって、実験の方が間違ってる なんて、そう主張することは少ないと思う。 (実際の話では、そう主張することもあるし、理論に あう結果がやり直して出てくることもないわけではない)

観察するとき、実験するとき、僕らは何を見ているのだろうか?
よく、ありのままを見なさいと教わることがあるだろう。 でも、人間の目は物をありのまま見ることは、 科学的には、 出来ないんだそうだ。
そうすると僕らは何を見て、実験対象を観察した、 といい習わしているのだろうか?
たとえば、顕微鏡で細胞を観察します。この時、僕たちは 細胞を観察しているのだろうか?
それとも、レンズの上に写った、輝点の集まりを 観察しているのだろうか?

今度は顕微鏡を介さないで、物を見ることを想像してみよう。 たとえば、ちょっと前のカラーコピーのCMなんか思い出してもらうと 助かるんですが、実物と、平面画像の区別は付かないときがあります。 たとえば、このとき、僕らは、カラーコピーを見ているのか 物を見ているのかが問題になります。

そうすうとなにやら、僕らは色の固まりを見ているに過ぎないような気がします。 でも、同時に、カラーコピーを見ても、実物を見ても、 そこに○○があるという感覚になるということは、 色の固まり以上に何かを見ているという風にも考えられます。

僕らはいったい何を見て、科学を作り出しているのでしょうか?
色の固まりなのか、それとも木や草花や動物や石ころetc.なのか。 科学の基礎となる観察もちょっと考えると、何を観察しているのか 怪しくなります。
ここで、大脳生理学や、光学の理論などを持ち出して説明したくなりますが、 じゃあ、それらの理論はどうやって何に基づいて出来たのかというと、 やっぱり観察とか実験ということになるでしょう。 そうすると、ここでの観察や実験は怪しくないのかという、 堂々巡りが始まります。
そうすると、科学を使わないで、みんなを十分に納得させる議論が 必要となってしまいます。

さて、科学を使わないで、
僕らは何を見ているのか
をどうすれば説明できるのでしょうか?