いったい誰が見たんじゃい!
科学の世界で存在するとされるものがたくさんある。
たとえば、原子とか分子とか電子とか。あと恐竜とか、
うん万光年離れた銀河とか、太陽より熱い星とか。
で、ぼくらは、小さいときから科学啓蒙書なり、
学校教育なりで、それらが「本当に」存在すると
受け入れている。それらを直接確かめた人は実際に
いるのだろうか?
で、多くの人は、そんな事を言うと、
「Fは何血迷ったことを言ってるんじゃい。
○○尊師に洗脳でもされたんかい」
とでも言う人の方が多いだろう。でもちょっと
頭を切り替えてほしい。
「この机が存在する」
「分子が存在する」
の言い回しはきっと違うだろう。だって机は自分で
見たり触れたり出来るのでそうやって確認することが
出来るが、分子はどうやっても直接、一つの分子を見ることも、
触れることもできない。
しかし、多くの人はこう言うだろう。
「でも、分子が存在している証拠がたくさんあるんでしょ。
だから科学者たちも「存在する」って言ってるんじゃないの?」
でも、
「分子は存在する」
「神様は存在する」
この二つの言い回しは本当に違うといえるだろうか?
(勘違いされないようにあらかじめ行っておきますが、
私は見事なくらいの無神論者ですし、どんな宗教も
広める意志はありません)
この言い回しをする人はどちらも、ありとあらゆる世界の現象を、
それぞれの存在すると主張したいものの証拠といっている。
で、面白いことに、どの証拠もとりあえずは見ることが出来たりする。
で、不思議なことに、神様の存在を否定するときに、みんな、
「目にみえない神様を信じるなんて非合理的だ!」
って主張するんだよね。
私みたいな単純馬鹿には、はっきりって、分子を信じることも、
非合理的におもえてしまう。
同じ事を言い出すと、星だって恐竜だって、「存在した、する」
というのを信じるのははっきりいって非合理ってことになる、
と思う。
で、科学の中の存在するって言われるものを、