想いは自分のモノ。だけど。

「前回の言葉に従って、撮るだけ撮ったのにこれじゃだめってどういうことだよ」という方も沢山いらっしゃるかと思います。
「大体、動画で撮っておけば、みてもらえない場合は別として、みてもらえば普通言いたいことは伝わるものでしょ。」という方もいらっしゃるかと思います。

実は、動画の世界で最も厳しいのは「伝えたいことをどうやれば伝わるか」なのです。これには二つの側面があって、

・伝えたい人にどうやって作った動画にアクセスしてもらうのか
・その動画を見た人が誤解無くその意図を読み取れるか

というのがそれです。

■動画にアクセスしてもらうには

「伝えたい人にどうやって作った動画にアクセスしてもらうのか」という問題に関しては、まずその番組の内容というか題材が、多くのユーザーに感心のあることであれば、他の番組よりもアクセスしてもらいやすいともいえます。
でも、これはパブリックアクセスの意義の根元に関わる部分です。なぜなら、多くのユーザーにとって必要な切り口の番組を提供するというのは、国営なり公共放送の義務であって、加えて多くのユーザーの視聴が見込める切り口は、民営放送にとって良い広告媒体ですので、積極的に提供されるコンテンツとなるはずです。
パブリックアクセスが必要な理由は、あくまでも、市民が必要と思う情報の中で、民放でも公共放送(国営放送)でも提供されない(提供されにくい)題材や切り口を伝えることに他なりません。
そういう観点に立つと、パブリックアクセスにとっては、むしろここの部分に関しては、一人善がりであることがむしろ重要であり、多くの人にアクセスしてもらうことより、誰にもアクセスされなくても「自分の視点」というのを大事にすることが大切です。

■伝わる動画とは

このように考えると、パブリックアクセスにおいて「伝えたいことが伝わる番組(動画)」というのは、その番組にアクセスしてもらったとき、「誤解無くその意図を読み取れるか」というところに尽きるということになります。
「動画は見れば誰にでも伝わるんじゃないの?」という風にお考えのかたもいらっしゃるかもしれませんが、それはありえません。見れば伝わるような、動画を作ることが重要です。
ここの部分は、一人善がりでは伝わりません。
それぞれの撮り溜めたカットとか、それのつなぎ方とか、コメントの付け方とかで、伝わる動画を作ることができます。映像の文法のようなものが厳然と存在していて、ある程度はきちんとそれに乗っ取ることが大切です。

■映像の文法って?

映像の文法といってもそういう教科書が特にあるわけではありませんし、私もその専門家というわけではありません。日本語の文法も皆さん意識しないで読み書きしているように、映像の文法は全く意識しないで、映像の内容を読み取っています。
ところが、日本語などと映像が違うのは自分で話したり書いたりすることが無いために、読めるけど書けない、聞けるけど話せない、という状況と全く同じともいえます。
最近はパブリックアクセスを推進するCATV関連の皆さんが安価な映像講座などもやっているので、そういう所に行って学ぶのも決して悪くはないかと思います。英会話の教室に通うようなものです。
でも、そういう講座も無いし、そういう講座があっても上達しないという方には、まずはとにかく真似をするという事をお勧めします。気に入った映画やドラマ、ビデオクリップ、なんでもいいです。とにかくプロの作品を、1カットづつその構図を良く見て、カットの並んでる順番を良く見て、ナレーションの進め方を良く見て、とまず徹底的に見て、それをもとに、自分の映像を作って下さい。
あとは、同じぐらいのレベルの友達を持って一緒にやって下さい。うまい先生に習うのもいいでしょうが、こういう同じレベルぐらいの人と切磋琢磨しながら真似っこするほうが上達は早いと思います。その辺は、英会話の上達なんかでも結構そういう側面がありますので、多分有効でしょう。
そうすることで、自然と、映像の文法を解説できなくても、映像を上手に見て作れるだけの理解は身についてくると思います。

こうしたことを踏まえてどうやって映像を作っていくのかを次回解説します。