風土

大きい国家において一人の王冠をつけたばか者が栄えるために多数の者が餓え、抑圧され、殺されるというごとき状態よりも、国家なくしてすべての人が静かな生を楽しむ小さい団体の方が、はるかに人道に合する。(P.262)

いや、この表現でなぜか大笑いしてしまいました。まぁ、笑う本じゃないんだけどね。よっぽど脳みそが読んでて疲れたのかもしれません。
風土と人間の関係を表した本なんだけど、予断と思い込みと論証不足の3点セット。学術書としては厳しいかな。何せ、柳田国男の丁寧な論証を読んだ後なので、さらに厳しく感じる。

我々は「風土」において我々自身を、間柄としての我々自身を見いだすのである。(P.14)
人間の第一の規定は個人にして社会であること、すなわち「間柄」における人であることである。(P.166)

この辺の問題設定はいいと思うんだけど、

風土の陰鬱は直ちに人間の陰鬱なのである。(P.135)

こういう独断が随所に。

彼ら(中国人)は無政府の生活に徹底し国家の保護力を予想することなしに生きている。それが彼らの血縁団体や地縁団体を緊密ならしめるゆえんなのである(P.151)


これなんかもさ、愛知県民見てるとこういうやつらに思えてくるし。でも、これは何の根拠もないけど同意しちゃうかな。昭和4年とかの書いた内容なのに、今も変わらん。

洋服とともに始まった日本の議会政治が依然としてはなはだ滑稽なものであるのも、人々が公共の問題をおのが問題として関心しないがためである。(P.201)