創発まちづくり―動く・繋がる・生まれる
「大人は自腹でメシをおごるべし」(P.45、若者たちの創発)
とりあえず、こいつは貫いています。おかげで、微妙に家庭不和が発生することもありますが.....。
まちづくりの事例を当事者たちがそれぞれの章を書いた一冊。なかなか読み応えがある。
自らの努力をせずして人に依存する人と、私は信頼関係を築けない。(P.65、SOHOの「あったらいいな」をカタチにする人肌感覚の場づくり)
と、書かれている午来さんからご紹介を受けた一冊です。ちなみに、こういう午来さんの思想は、以前紹介した働く女性フォーラムinあいち・にしおはず講演録でも読めますが、まとめて読めるので両方読むとより理解できます。それにしても面白い内容が多いので、抜書きに少しづつコメントを。
自分のライフスタイルに影響を及ぼさないのならば、まちづくりは他人事。(P.26、若者たちの創発)
僕らの世代こそ、こういうやつが多いと思う。
今の時代に、「地域に育ててもらった」なんていう恩義を感じる若者はあまりいない。(P.40、若者たちの創発)
これもそう。意外と今の若いもんは、こういう意識があるような気がするんだよなぁ。
センスのない人間にいくら手を貸したって、潰れる時は潰れる。向いてない人間は、さっさと降りた方が本人のため。起業支援なんて、さらさらする気はない。(P.54、SOHOの「あったらいいな」をカタチにする人肌感覚の場づくり)
はい、全く持ってその通りでございます。ぼくもそう思うので、昔こんなことを書きましたし。
思ったことは本当にその通りになる。(P.71、SOHOの「あったらいいな」をカタチにする人肌感覚の場づくり)
これはそう思うんだけど、まだ実感はなし。そこまで念じるネタをもっていないんだよな。残念ながら。僕の事業家としての問題点であり限界なのかもしれないと、反省していたりする。
コンセプトは、まずは掲げた人間が貫き通すのが鉄則だ。(P.93、一緒に種を播き、さわやかな自慢話を咲かす)
そりゃそうだ。自分でやるってのは万事重要。
今、あらためて協働という言葉を使わなくてはいけなくなった社会が、大変不器用に感じられる。(P.101、一緒に種を播き、さわやかな自慢話を咲かす)
本当にそう思います。それぞれ本業を責任を持って実行すればいい世になるような気もします。
まちづくりは「市民」が主役。私もずっとそう書いてきた。でも、ちょっと待て。「市民」という言葉を書くとき、私はどこに立っているか。市民ってだれ?そう書いているお前はしみんじゃないんかい?(P.182、メディアが創発を後押しできるか)
そうそう。みんな市民なのだ。まずは立場のよろいを剥ぐべきなのだ。その上でどうするのか、と言うのを立場のよろいを着て考えればいいのだ。
「全部ダメ」になってしまうまで放置していたメディアの責任は大きいと思う。(P.194、メディアが創発を後押しできるか)
ほんとうに。どのジャンルでもメディアの責任は重いです。
いくらカネを積んでも、人は動かないのである。人を動かすには、人の心を動かさないといけない。(P.214、創発をはぐくむ行政へ)
まぁ、カネが人の心を動かすことがあれば、金で動かすことも出来るんでしょうけど。全部じゃないよね。
一人ひとりのやりがいを先に考えよう。国をこうする、地域をこうする、この街をこうする、というのは結果論だと潔く割り切ろう。(P.253、創発まちづくりの九原則)
痛い。地域活性化なんか研究してると、ついついこの視点を忘れる.....。