中庸
上天を怨みず、下人を尤めず。(P.88)
なかなかそういうわけにはいかないよな。天を怨みたいときもあるし、人をとがめちまうときも少なくないし。こういう心がけだけするということはできるかもしれないけれど。
さて、儒教の経典の中心ともいえる四書のうちの一つが、この「中庸」。
偏らざるをこれ中と謂い、易わらざるをこれ庸と謂う。中は天下の正道にして、庸は天下の定理なり。(P.43)
ということらしい。ただ、中庸の説く道はどうしていいか結構わからなかったりします。
道の行われざるや、我これを知る。知者はこれに過ぎ、愚者は及ばざるなり。(P.64)
と、いうのですでに知者でも愚者でもいけない、といいつつも
道は人に遠からず。人の道を為して人に遠きは、もって道と為す可からず。(P.82)
というように人間のできることであるはず
誠は自ら成るなり。而して道は自ら道びくなり。(P.151)
そのうえ、自然に導かれるとまでいう。で
天地の道は一言にして尽くす可きなり。(P.157)
などとも。じゃぁ一言で教えてくれ。頼むわ。その道の本質が分かれば、きっとこんなことも分かるんだろうな。知者でもなく愚者でもないってどうすりゃいいんだろ。
身を修むる所以を知れば、則ち人を修むる所以を知る。(P.123)
下位に在って上に獲られざれば、民得て治む可からず。(P.135)
唯天下の至誠、能くその性を尽くすことを為す。(P.145)