法華経
信仰の心のないものを唆かして、この経説を信ずるようにせよ。(下P.169)
悪く言えばだまくらかしてでも、信仰させよって話。他の宗教では信じないやつは抹殺とか地獄に落ちるからほっとけとかいうスタンスが多い中で、ちょっと異色な感じ。
有名な法華経の日本語訳。こういう異色な経典が出来上がった理由も
出家と在家の両教団の鋭い対立を超克せんと現われたのが、紀元前後頃の成立と推定される法華経である。(下P.419、解説)
ということであれば、なるほどなと思う。それにしても、般若心経とか法華経辺りから、とりあえず信じなさい的な話が増えてくる。とはいえ、その合間合間に人としての行動規範的な内容もあって、現代人でも役立つ気はする。この不景気の世であれば
自念貧事。我無此物。(上P.250)
は大事な感覚だろうし、状況を如何に乗り切るかという点で行けば
如何なるものでも、味わうて不味くはなく、美味であるように、味わうのである。(下P.113)
これらのもの(如何なる対象)に疑念を抱いたり、誤った差別をしたりしないことが、求法者の行動である。(中P.245)
のようにあるがままの状況をあるがままに判断していくことが大事なんだろうなと。それにしても
王国を統治したが、それは正義のためであって、享楽のためではなかった。(中P.205)
これで十分すごいと思うけど、これじゃ足りなくて出家した仏陀ってのはすごいねぇ。
余のために、塔を建てたり、僧院を建立したりする必要はなく、また僧の集団に病人を治すための薬やその他の道具などを布施する必要はない。(下P.59)
ということなので、お布施をする必要はないんよね。余力があればしてもいいし。何かの対価で涅槃にいけるわけじゃないいもんね。ちょっと読んだぐらいであんまり評論しても
「おまえは視力を得たに過ぎないのだ。おまえが何かを知っているのではない」(上P.291)
と言われるだけか。
我法能離。生労病死。究竟涅槃。(上P.158)
諸苦所因。貪欲為本。(上P.204)