ラオコオン―絵画と文学との限界について

専門家が多くの本から得たほどの博識を、一般大衆からも要求するのであろうか。(P.168)

芸術に限らず、本来そういうものなんだろうなとは思う。でもさ、ちったぁ勉強しないとダメだよね。
本書は、彫刻のラオコオンとそれを題材とした神話や小説を比較しながら芸術や美の本質を本格的に検討した、芸術批評の嚆矢とも言える一冊。

絵画は、その共存的な構図においては、行為のただ一瞬しか利用することができない。(中略)文学もまた、その継時的な模倣においては、物体のただ一つの性質しか利用することができない。(P.199)

結論として、こういう相補的な関係ということらしいのだが、その双方を兼ね備えた、日本の絵巻物ってのはどうなるんでしょう。なんとも、日本人の融通無碍が芸術の世界では生きてくるんでしょうね。芸術批評ってのも奥深いものです。とはいえ、自由に芸術が出来ないほどクソマジメな西欧ってのは

むかしは芸術も市民的法律の支配下におかれたものだと言われると、われわれは笑いだす。(中略)芸術の究極目的は悦楽である。そして悦楽というものは、なくてもすむものである。だから、どのような種類の悦楽を許すか(中略)は、もちろん立法者がそれをきめてさしつかえないのである。(P.30)

と、ここまで不自由に考えていたと言うのは驚きです。まぁ、何かの目的のためには、色々無視することも時には重要なようで。

一般に古人は慣例的なものをひどく軽視した。彼らは、自分たちの芸術の最高使命からするならば、そんなものは全然なくてもかまわないのだということを感じていた。(P.94)