自殺論

社会学の成立が可能であるためには、社会学が、なによりもまず、ひとつの対象を、それも社会学独自の研究対象をもたなければならない(P.13)

自殺を個別的内面的なものとして捉えるのではなく、集合体の傾向性として捉え、その表れとしての「自殺率」を考察することによって、社会における自殺の原因を洞察した名著。
自殺に対する洞察と言う点でも名著であるが、何よりも、個人の集合体なのだから、個人を調べれば全て分かるという立場を捨て、社会の構成要素とその傾向性をみいだすという、社会学の重要な役割を割り振ってつくりあげた歴史的な一冊でもある。
実際に政治など大多数のための仕掛けを組み立てる立場の人間にとって、また、そうした人物を任用する立場の人間(すなわち民主主義国家であれば一般の人々)にとっても、そういう視点が重要だということがわかる。確かに政治は個人が救われなければならない、しかし、個人一人ひとりに対して無限の作業は出来ないのだ。
言うまでもなく、民主主義国家に住む人間であれば必読書だ。

以下メモ。

この危機の時代のさまざまな困難に心わずらわせている者も、科学から生じたいのではない病弊を、科学のせいにしてはならない。(P.195)
自殺は、宗教社会の統合の強さに反比例して増減する。/自殺は、家族社会の統合の強さに反比例して増減する。/自殺は、政治社会の統合の強さに反比例して増減する。(P.247)
社会をおそう苦しみは、必然的に個々人の苦しみになる。(P.255)
かれ(ケトレ)はその平均人(ロム・モワイン)の理論によって、この事実(社会現象の規則性)を説明することができると信じていた。(P.377)
社会が個人だけからなりたっているとするのは誤りである。社会は物的な事実も含んでいて、しかもその物的な事実が、共同生活のなかである本質的な役割を果たしている。(P.394)
ひとつの社会の集合的タイプと、社会を構成している個人の平均的タイプを混同することは―それは往々にして行われがちであるが―根本的な誤りである。(P.400)
われわれの利己主義そのものも、おおかた社会の所産なのだ。(P.458)
国民自身が健全な状態にあるときに、はじめて教育は健全なものとなるが、それはまた国民とともに腐敗するものであって、自力で変化することはできないのである。(P.476)