経済学入門
そのときには資本主義が不可能なことは紛れもなく明らかになる。(P.436)
共産主義者が書いた共産主義のための経済の本。示唆深いことは多々あるけど、実は資本主義を読み誤っているがゆえに、共産主義がより無機的で、より非人間的な経済に見える。
通しの文章が思い浮かばないので、とりあえず、メモの整理程度で。
資本とそのコントロール
労働する人類を、一つの超強力的な支配者、すなわち資本が統治している。しかし、その統治形態は専制ではなく無政府である。(P.101)
奴隷経済においても夫役経済においても消費は、どんなにぜいたくな生活であっても、自然的限度があった(中略)貨幣形態ならば、富はまったく限界を知らず、無限に増加できることができる。それに応じて、近代の資本家の剰余労働への渇望もまた無限である。(P.374)
資本家は労働力を終始一貫捨て値で買おうとするが、その捨て値が、労働組合の活動のおかげで、多かれ少なかれ実質価格にまで引き上げられるのである。(P.412)
商品媒介の人間関係
各商品の価値はそれに含まれている人間労働にほかならない、ということと、したがって諸商品が交換される場合には種々な労働の等しい量が互いに交換されるのだ(P.348)
一社会における生産形態の性格を規定しうるものは、分業、消費者たちのあいだでの諸生産物の分配、交換というようなさまざまな社会的関係なのである。しかし、すべての経済的生活のこれらの側面はそれら自身が生産という一つの決定的な要因によって規定されているのである。(P.208)
高度に発達した分業の場合には、互いに完全に独立した生産者たちの場合には、また、彼らのあいだにどんな組織も欠如している場合には、種々の労働の諸生産物をすべての人の手に入りやすくするための唯一の方法は―交換である、ということが明らかになる。(P.301)
靴屋は、彼自身がまったく必要としない靴を、彼にとってはまったく無用なむだな労働である靴を、絶えず生産しなければならない。(P.302)
一足の靴が交換されるごとに、彼は社会の成員になるのであって、一足の靴が売れなければ、そのつど彼は再び社会から締め出されるのである。だから、靴屋は、靴屋として、人間として社会と結びつきをもっているのではなく、彼の靴がはじめて彼を社会に結びつける(P.314)
我田引水歴史解釈
無産者の扶養はごく普通の義務とみなされたのあって、今日の乞食のように軽べつの恥辱を受けるということは決してなかったのである(P.397、中世ドイツ)
バラモンすなわち聖職者には動産を贈与することだけを許すことによって、聖職者の経済力を制限しようとしている。(P.257、マヌ法典について)
その他
ドイツが輸入するのは、輸出するすることができるようにするためなのである。(P.46)
イギリスの工場主たちは、まもなくくることが期待される工業の興隆にさいして再び利用できる彼らの「生きている機械」の(オーストラリアが受け入れを表明している)国外移住に対しては、激しく抗議する。(P.67)