地域づくりと自己教育活動 (地域生涯学習の計画化)

生活保護基準以下の年金しかないのに、その生活はつつましいが、わりあいゆったりしているように見える世帯に出会うことである。たいていはその地域に生れ育ち、わずかな土地に菜園をつくり、収穫物を他人や親族に上げることを、無上の喜びとしている人々である。そのような人達の生活状況を調査して共通していることは、生活の根拠がどっしりとしているということである。親族以外の近隣との交流も頻繁で、予想以上にもののやり取りが行われている。(P.276)

大学のときの教科書。とはいえ、この先生好きじゃなかったんだよなぁ。確か学芸員の資格欲しさに、取った文型単位の一個。まさか、それから15年経って、この本が役立つようなお仕事をする羽目になるとは。学校の勉強はいつ役立つか分からないものです。
まぁ、あの頃は研究やりたくて大学行っていたんで、こんなもの興味なく知識だけ身につけたわけですが、市民活動支援などという生涯学習やら社会教育との境界領域での仕事を少しでもしていると、改めて読むと実感と参考になること多数です。
以下は、引用でもなんでもなく、純粋に学習メモ。とにもかくにも今になって役立ちます。まじめに何でも勉強しておきましょう。ちなみに、うちのセンターにはこの本置いておきますね。

消費者と生産者

商品・貨幣関係に規定された日常的な世界も、「理性」的に考えれば、住民自身がつくりだしている世界(生産物の総体)にほかならない。しかし、その世界は一人ひとりの住民にとっては統制がきかない、しばしば不可思議な変化をする世界である。(P.33)

消費者の普遍的確立とは、商品消費に頼らざるをえない労働者の消費生活が社会の大部分を占めたことであり、その意味で、原理的には、消費者問題とは労働者の生活問題の発現形態である。(P.52)

商品ブランドという仮面でしか自己を表現できない消費人間、あるいは「心を欠いた享楽人」といった自我の解体という転倒的な自己疎外現象(P.57)

消費者が、生産者や他の消費者との関連において、商品を通じて互いに他を必要としあう社会的関係が全面的に拡大しながらも、孤立化した私的生活にとどまるという矛盾が、まさにここにおいて現れる。こうした孤立化した消費者は、物象化した商品の背後の人格間の社会的関係を認識できず、そうした商品生産の社会的関係によって生み出された商品を、「社会的な物」として知覚し、あるいはモノの属性としての社会性を記号化するなど、意識レベルでの自己疎外も進行する。(P.58)

人々は生産者という側面において器械の如く位置づけられ、生活者という側面においては氾濫する商品のとりことしてその主体性を失っている。(P.85)

社会教育による問題解決手法

まず第一に自らの地域のもつ具体的な問題を知ることである。その内容は与えられるものではない。住民が自ら調査することからはじまるのである。(P.81)

教育する側が、教育される側の実態を把握し、問題を決め、原因を決めつけて解決のための対策を樹立し、課題を設定し方法を捉え、そこから対象者の意欲と努力を鼓舞しようとするのである。(P.95、教育のあり方の誤り)

地域の人々の学習体験の乏しさや、学習に対する受動的な概念が強くもたれている現状においては、自ら学習の自由性を実現することのできるような契機をつくることが必要である。(P.96)

系統的な学習をすべきだということがよくいわれるが、系統的とはいったいどういうことであろうか。中央婦人学級の学習展開が系統的であると評価されるのであれば、それは学ぶことへの真摯な姿勢が必然性をもって学習テーマをえらばせたということに他ならない。(P.303)

地域の機能

地域はデパートなどのいう顧客管理という位置のみられるように、管理社会の末端として単に消費者文化の受け手としての位置から管理や統合の中心をおびやかす、民衆の<住む>根拠地になっていく。(P.141)

日本における伝統的なそれゆえ根のある地縁集団とのリンクの中でこそ、その(ネットワーク型組織の)ちからを発揮していくだろう(P.236)

「人の中に入っていかなかったら自分も変わらないし、成長できないと思う。」(P.245、訓子府青年団の方)

彼らは概して元気であり、野菜や花を家の回りに一杯につくり自然の中に溶け込んで生活をしている。(P.273、過疎地域の高齢者)

市場社会と企業

市場経済の広がりを伴う自由な経済活動が環境破壊をもたらしたという考え方もあるが、自由な経済活動ができるからこそ、環境問題に対して自覚的な市民による有機野菜栽培や産地直送、リサイクル運動、ナショナルトラスト運動など可能なのである。(P.73)

技術の公開は、技術の高い人が交流することで損をするのではなく、むしろ技術の高い人も公開することによって、一層多様な人からの多くの情報を得る事ができ、自分の技術も向上するのである。(P.193、農業技術の交流)

企業内教育はもはや企業の「私事」ではなく、地域的な生涯学習政策と関連を持って行われる段階に来ているのである。(P.201)

家事と仕事

(家事労働が社会化されることによって)生み出された自由時間は賃労働に変わり、そのことも相俟ってサービスや商品に家事労働がさらに置き代わっていく。その過程で、生活の諸能力が失われ、家事労働が主体性のない画一的なものになっていく(.P.152)

女性の人格的自立化は、社会的労働に参加し、家事労働を夫と分担することで解決がつくものではないことは明らかであろう。(P.152)

子どもを集団として育てなければ、わが子の成長も保障できない(P.256)

地域課題や地域づくり(産業おこし)といわれる活動からの展開とは異なり、「ひとづくり」が手段ではなく目的とされているのである。(P.264、稚内での子育て活動)

市民活動と産業活動

北海道の鷹栖町では住民の健康運動の取り組みの一環としてつくられたトマトジュースや減塩味噌が町の重要な特産物に発展した。(P.82)

ただのメモ

生産組織の原型といわれる愛知県安城市の水稲集団栽培組織(P.169)

情報化への市民の参画と自治の過程がそのまま学習の過程でもあり、それを通じて、情報化社会における市民の新たな自治的能力が形成されていくとすれば、そこに社会教育における共同学習という方法的価値を生かしていくこともできる(P.183)